他国の選手が海に転落。
まずは、様子を見るだろう。
地力で上がれるだろうか。
また、救助が来る可能性はあるかどうか。
というのは、
このオリンピック大会に出場するまでに
自分たちがどんなに力を注ぎ、
また人々の金銭を初めとする応援を受けたか、
その重みというのもあるからだ。
たんに自分の名誉だけではないと思う。
ここに働く心理は、
私ならこうだ。
「誰か他人が解決してくれないか」と。
あるいはまた、こう言ってもいい。
「自分がしなければならないか」と。
しかし状況は、他の誰かに助けられる様子ではない。
それでも、自分のレースに全力を尽くしても、
競技なのだから当然の態度だと言えなくもない。
祭司やレビ人が傷ついた同胞を避けて通りすぎたよりも、
まだ弁明は成り立つものだろう。
だってヨットレースが目的であるのだから。
しかし、もし見捨ててレースを続けた後で、
転落した選手が死んだとしたらどうだろう。
私なら、そこを考える。
すると、もしかするともう自分は
今後ヨットレースをすることができなくなりはしないか。
社会の非難も受けようが、
自分自身としても、続けられないのではないかと思う。
こうした姿勢は、ひじょうに自己中心的な、
自分の感情や都合に基づく考え方だ。
小学生には出てこないだろう。
だが、おとなである私は、自分だったら
そういう点を考えるだろうと予感する。
このとき、私なら考える。
「自分がするほかはない」と。
他の誰かに任せるのでなく、
また自分と無関係のことにしようと仕向けるのでなく、
まさにこの自分が関わる問題だという覚悟を決めるのだ。
(続く)