読書の秋。
昔の言葉だ。
ようやく電子辞書も
電車内で時折見かけるようになったが、
かつては私一人のほかまず見なかった。
(田舎だということか)
だが、スマホやタブレットだのが、
およそ読書とは違うもののために使われているのが、
まあ一般的な様子である。
つまりは、本を読んでいるという人は、
たしかに激減している。
もちろん、いないわけではない。
数人見たこともあり、
それはそれでいいなと思ったのだが、
しょせん少数派である。
およそ読書というものから、
世間は遠い。
読んでいるものが慰みや楽しみ、
あるいはビジネス啓発ものでしかないにしても、
それはそれで読書でいいと思う。
それでさえ、少ないのだ。
だのに、書店に溢れる本の数々。
膨大な洪水を覚えるこの本が、
果たして商売になっているのかどうか、
私は不思議に思う。
読書は、思考を促す。
また、自分では気がつかない
他人の思考を辿る機会となる。
他人の思考に無知であるということは、
いつもひとりよがりであるということだ。
自分が正しいだけとなり、
それが自分を神とすることにつながる。
大袈裟な言い方をしているかもしれないが、
読書経験は、ほんとうに大切なことなのだ。
思考は言葉による。
読書は言葉による。
思考は読書により支えられている。
快不快だけで物事が判断されたり、
思い込みの当為で社会が動かされていく、
そういう原理に基づく民主主義は、
実は危ない。
これは民主主義嫌いのプラトンならずとも、
きわめて当然の懸念なのであるが、
それに気づくこともまた必要であり、
読書がもたらすことであるように思うのだ。
昔の言葉だ。
ようやく電子辞書も
電車内で時折見かけるようになったが、
かつては私一人のほかまず見なかった。
(田舎だということか)
だが、スマホやタブレットだのが、
およそ読書とは違うもののために使われているのが、
まあ一般的な様子である。
つまりは、本を読んでいるという人は、
たしかに激減している。
もちろん、いないわけではない。
数人見たこともあり、
それはそれでいいなと思ったのだが、
しょせん少数派である。
およそ読書というものから、
世間は遠い。
読んでいるものが慰みや楽しみ、
あるいはビジネス啓発ものでしかないにしても、
それはそれで読書でいいと思う。
それでさえ、少ないのだ。
だのに、書店に溢れる本の数々。
膨大な洪水を覚えるこの本が、
果たして商売になっているのかどうか、
私は不思議に思う。
読書は、思考を促す。
また、自分では気がつかない
他人の思考を辿る機会となる。
他人の思考に無知であるということは、
いつもひとりよがりであるということだ。
自分が正しいだけとなり、
それが自分を神とすることにつながる。
大袈裟な言い方をしているかもしれないが、
読書経験は、ほんとうに大切なことなのだ。
思考は言葉による。
読書は言葉による。
思考は読書により支えられている。
快不快だけで物事が判断されたり、
思い込みの当為で社会が動かされていく、
そういう原理に基づく民主主義は、
実は危ない。
これは民主主義嫌いのプラトンならずとも、
きわめて当然の懸念なのであるが、
それに気づくこともまた必要であり、
読書がもたらすことであるように思うのだ。