鳥取県が動いた。
それが形になった。
 
手話を言語として扱うべしという措置。
あたりまえのことではあっても、
今後一定の義務が生じるし、
これまでろう者が受けてきた
理不尽な扱いが少しは減るのではないかと期待できる。
 
6日のテレビ「ろうを生きる難聴を生きる」で、
そうした不当な経験が紹介されたとき、
悲しい思いがしたが、
いくらかでも聴者の意識が変わってくれば、と願う。
 
ただ、まだ誤解は残る可能性がある。
それは、ろう者が皆、手話を扱うわけではない、ということだ。
ある統計では、
6人に1人だというし、
かなり聞こえない人の中でも4人に1人しか
手話を使っているにとどまる、ともいう。
 
手話さえ浸透すれば、
ろう者が皆助かるわけではないのだ。
私たちは、どこまでも、
様々な人の立場を覚え、理解しつつ、
共に生活していく視点を失ってはならない。
 
手話は、ひとつのきっかけに過ぎない。
と同時に、
この言語がもつ特異性、すなわち
時間順によらず
同時に複数の内容を表現し伝えられ、
空間的に関係を示すことができるという点に、
魅力を覚える人が増えてもよい、と私は感じている。