ところが、一部で、
変わった名前のほうが、覚えてもらえて、
理解されやすい、などと
とんでもない勘違いが横行しているのだ。
十数人の集落で暮らすのならば、それでもいい。
住むマンションから外に出ないのならば、それでもいい。
だが現実は違う。
まるで、自分の名前を知らない人とはつき合わない、と
宣言しているようなものではないのか。
 
やっていることのおかしさは、たとえば、
英語文化圏の名前で
Nmxpwkqvbjのような綴りの名前を
子どもにつけたらどうなるのか、
といったことを考えてみるとよいかもしれない。
 
「読み方を間違えられて困る」と
インタビューに答えていた親を報道で見た。
残念ながら、「間違えられた」のではない。
そもそも「読めない」のである。
自分が我が子につけた名前は、
家族のほかの人には「読めない」のであり、
それを読めない人は「間違い」であるのだとしたら、
どういう世界観をもっているのか、と言われかねない。
 
名前には、パブリックな面がある。
言霊信仰のように、名が本質をもつ、という点に
あまりに偏ったありさまのようにも見えるが、
おそらく決して思想的なものではなく、
思慮のないところから来ている場合が少なくないと思われる。
 
変わった名前が悪いのではない。
読めず、呼べない名前だと、
存在しないような扱いを受けるかもしれないと思うのだ。
あるいは、特定の集団の内部だけでしか生きられないような
性格を帯びてしまうのではないかと危惧するのだ。
 
そして、実際医療機関は困っている、という事実だ。