やはり語彙というのは
時代毎に変わる。
もはや刑事ドラマの
「デカ」が限界で、「ホシ」すら通じない。
中学生がそうだ。
 
小学生にも、
博多弁さえ通じないのは当然か。
いや、たんに私が
「おじさん」になったというだけのことかもしれない。
 
ただ、語彙の時代差はともかくとして、
語彙はますます減っているというのが問題だ。
 
もちろん、新語は増えている。
カタカナや造語はあるが、
長続きするという性質のものでもない。
語彙の絶対数は、減っている。
 
人間は、言葉で思考する。
表現の稚拙はあるだろうが、
思考するために言葉は必要だ。
神学を学ぶ人でさえ、
哲学的思考には耐えられていない場合がある。
 
語彙の相違はやむを得ない。
だが、語彙の減少は望ましくない。
少数言語が絶滅している世界的状況の中で、
日本語も少子化のみならず、
少語化が進んでいる。
 
それは、共通語としての英語をすら思わせるが、
たしかに共通語のためには、
語彙が豊かであることは障害となる。
言語が今後どうなっていくのか、
素人には予想もつかないが、
人の思考を支えているだけに、
その行方には関心をもつものである。