ヨハネ7:38に、
「わたしを信じる者は、
聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる」
とある。
恵み深く、また
どこか神秘的な言葉のひとつであった。
だが、先日スポルジョンの英語の説教を見ていて、
はっと気づかされたことがあった。
この「川」は複数形だというのだ。
日本語だけを見ていたとき、
頭の中にイメージされていたのは、
一本の川だった。
しかし、聖書は複数の川を告げている。
イエスは、川は一つではない前提で話している。
もちろんこの「信じる者」は単数なのだ。
イエスを信じるならば、
その一人の人の心の奥底から、
生ける水の川がいくつも流れ出るというのだ。
ただそれだけのことなのだが、
これは考えさせられる。
というより、
聖書の読み方についての
浅薄さと思い込みを戒められる。
そして、聖書翻訳の難しさも
ここにはっきりするのだった。
「わたしを信じる者は、
聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、
生ける水の川が流れ出るようになる」
とある。
恵み深く、また
どこか神秘的な言葉のひとつであった。
だが、先日スポルジョンの英語の説教を見ていて、
はっと気づかされたことがあった。
この「川」は複数形だというのだ。
日本語だけを見ていたとき、
頭の中にイメージされていたのは、
一本の川だった。
しかし、聖書は複数の川を告げている。
イエスは、川は一つではない前提で話している。
もちろんこの「信じる者」は単数なのだ。
イエスを信じるならば、
その一人の人の心の奥底から、
生ける水の川がいくつも流れ出るというのだ。
ただそれだけのことなのだが、
これは考えさせられる。
というより、
聖書の読み方についての
浅薄さと思い込みを戒められる。
そして、聖書翻訳の難しさも
ここにはっきりするのだった。