橋下徹氏。
その思想内容というよりは、
思想の実現化に向けての手法や姿勢については、
かねてから危険だと私の目には映っていた。
 
このたび、東京都の選挙において、
慰安婦問題についてどうも理解されなかったということで、
事前には地位を退くような言い方をしていたと報道もされたが、
結局退くことはなく、
これからも理解されるように努力するのだと言う。
自分の信念を曲げないということは構わないが、
どうしてもその信念を他人に受け容れさせようと言う。
他人の信念は曲げさせようという方向にあることに、
あまりお気づきではないらしい。
 
強権を発動できることについては、
自分の信念を他人に押しつけることを平然と行う。
自分が正しいと思うことについては、
万人が正義と認めなければならない、とお思いのようだ。
 
慰安婦について私は知るところはない。
極めて文学的にしか理解できない上で、
精一杯の想像をする。
橋下氏は、国家がそれを強制したことがない、という強弁だが、
慰安婦になりたくなければどうぞ、
ただし、それ以外で生きていくことはできないからね、
という圧迫により、その道を選んだ女性たちがいたとして、
それは強制ではなかった、という論理であるならば、
その強弁には暴力しか感じられない。
 
日の丸を拝したくなければどうぞ、
ただし、教師の仕事は今すぐ辞めてもらいますからね、
という圧迫を正当として突きつけている人であるのだから、
あながち上の推測は直ちに見当はずれだとは言えないだろう。
基本的に教育改革の本質とは関係ないこの問題に、
あまりに躍起になって潰しにかかるこの人の手法と、
最近の発言の問題とは、あまり結びつけて考えられていないようだが、
根っこは同じではないかと思われてならない。
 
偶然知ったが、
今日が誕生日なのだそうだ。
人にはそれぞれ誕生日がある。
だが中には、自分の誕生日を知らない環境にある人もいる。
痛みや傷を負う人々を否応なく増やすようなことも、
政治の一つであるのかもしれないが、
いくら強権を発動しても、
人の心までもを自由に支配することはできない。
まして、良心というものを捨てさせるようなあり方は、
過去の歴史から、為政者は学ばなければならない。
だから、政治家というのは大変な仕事なのだ。