岩手県議会議員のブログのことが
話題に上っている。
ネット社会での情報の伝達は凄まじい。
あっという間だし、
誰かがどこかでちゃんと見ている、というのも本当だ。
一介の市井人の場合は、
どうにかしてでも言わないと、
力のある側に捻り潰されてしまう、という訳で、
ネットで公言できるということは、
時に助けとなりうることだろう。
いわば弱者が発言できる機会を提供することになる。
だがそれももちろん、暴力となる場合があるのであって、
その勢いで別の個人を特定的に被害者にしてしまうことや、
虚偽を含んだ情報で組織の名誉を傷つけたりすることは、
今度は逆に一つの発言が加害をなすことにもなりかねない。
何か言っていけば、
そういう領域にも足を踏み込んでしまうことがあろう。
自分では正義と思うことが、
自分だけの正義感に過ぎないということは、ままある。
『正義という名の凶器』という本が出ているが、
「狂気」と言いたいところをそう隠しているような題名だ。
他人事ではない。
自分もまずいなあと思うことが多々ある。
県議の場合、
病院で名前でなく番号で呼ばれたという点で
すっかり逆上してしまったわけだが、
病院には病院の論理があり、
また、番号にしたことについては、プライバシーなど
広く一般的な了解がなされている範囲内の配慮による。
これは気の毒だが県議として、
さまざまな立場の人の良心を理解していく仕事をする上では、
致命的な欠陥を晒してしまったことになるかもしれない。
自分の気に入らないことを捻り潰し、
自分の正義感で世の中を一気に裁いていくというのは、
民主主義の時代の政治家に求められる姿ではないだろう。
名前で呼ばれないのは味気ない面もあるな、
という程度の呟きであったらよかったのであって、
まして、会計をせず病院を出たとあっては、
自らがルールを無視して行動しているわけで、
社会的に認められない行為をしたことを自ら告白したことになり、
よけいに立場が悪くなる。
個人情報について知らない者が何を言うか、
というふうな発想も、この人の本音を露呈してしまっている。
以前、一年間だけ神学校に通った人物が、
「私は神学校に行ったんだから、一般信徒よりは知識がある。
私の考えのほうが正しい」
と教会の総会で発言したことがあったのだが、
人間というものには、こうした傾向も確かにあるものだ。
しかし、
すべては他山の石である。
私も大して違いはしない。
話題に上っている。
ネット社会での情報の伝達は凄まじい。
あっという間だし、
誰かがどこかでちゃんと見ている、というのも本当だ。
一介の市井人の場合は、
どうにかしてでも言わないと、
力のある側に捻り潰されてしまう、という訳で、
ネットで公言できるということは、
時に助けとなりうることだろう。
いわば弱者が発言できる機会を提供することになる。
だがそれももちろん、暴力となる場合があるのであって、
その勢いで別の個人を特定的に被害者にしてしまうことや、
虚偽を含んだ情報で組織の名誉を傷つけたりすることは、
今度は逆に一つの発言が加害をなすことにもなりかねない。
何か言っていけば、
そういう領域にも足を踏み込んでしまうことがあろう。
自分では正義と思うことが、
自分だけの正義感に過ぎないということは、ままある。
『正義という名の凶器』という本が出ているが、
「狂気」と言いたいところをそう隠しているような題名だ。
他人事ではない。
自分もまずいなあと思うことが多々ある。
県議の場合、
病院で名前でなく番号で呼ばれたという点で
すっかり逆上してしまったわけだが、
病院には病院の論理があり、
また、番号にしたことについては、プライバシーなど
広く一般的な了解がなされている範囲内の配慮による。
これは気の毒だが県議として、
さまざまな立場の人の良心を理解していく仕事をする上では、
致命的な欠陥を晒してしまったことになるかもしれない。
自分の気に入らないことを捻り潰し、
自分の正義感で世の中を一気に裁いていくというのは、
民主主義の時代の政治家に求められる姿ではないだろう。
名前で呼ばれないのは味気ない面もあるな、
という程度の呟きであったらよかったのであって、
まして、会計をせず病院を出たとあっては、
自らがルールを無視して行動しているわけで、
社会的に認められない行為をしたことを自ら告白したことになり、
よけいに立場が悪くなる。
個人情報について知らない者が何を言うか、
というふうな発想も、この人の本音を露呈してしまっている。
以前、一年間だけ神学校に通った人物が、
「私は神学校に行ったんだから、一般信徒よりは知識がある。
私の考えのほうが正しい」
と教会の総会で発言したことがあったのだが、
人間というものには、こうした傾向も確かにあるものだ。
しかし、
すべては他山の石である。
私も大して違いはしない。