出された問題を解くことは、
小さな子どもでも対応できる。
しかし、
「ではこういう問題をつくりなさい」
と問われると、
訓練できていない子はとたんに止まる。
西南中学の入試問題に
きわめて易しい式を挙げ、
問題をつくれと言われたときも、
受験生は戸惑ったことだろう。
素直に考えれば、なんということはないのだが。
哲学を学んだ際、
心に残っていることがある。
それは、「問い」の重要性だ。
哲学において、
問いはクイズの問題ではない。
まず、答えが定まっていない。
しかしそれよりもまず、
問いを立てること自体が、
哲学の目的であるとうかがえることに特徴がある。
問いを立てた時点で、
哲学の成果があったということである。
何が問題であるのか、
それが分かっていない、というのは
考えてみれば悲劇的なことである。
答えが求められないばかりではない。
どちらを向いてよいのかさえ分からないのだ。
(続く)
小さな子どもでも対応できる。
しかし、
「ではこういう問題をつくりなさい」
と問われると、
訓練できていない子はとたんに止まる。
西南中学の入試問題に
きわめて易しい式を挙げ、
問題をつくれと言われたときも、
受験生は戸惑ったことだろう。
素直に考えれば、なんということはないのだが。
哲学を学んだ際、
心に残っていることがある。
それは、「問い」の重要性だ。
哲学において、
問いはクイズの問題ではない。
まず、答えが定まっていない。
しかしそれよりもまず、
問いを立てること自体が、
哲学の目的であるとうかがえることに特徴がある。
問いを立てた時点で、
哲学の成果があったということである。
何が問題であるのか、
それが分かっていない、というのは
考えてみれば悲劇的なことである。
答えが求められないばかりではない。
どちらを向いてよいのかさえ分からないのだ。
(続く)