小学生の英語というと、
私も教えているから、
政治的な配慮は分からないが、
教育的な実情と背景については、
いくらかでも経験していると言える。
 
小学校における英語教育を
本格化していくという方針が
先日確認されている。
 
教育もまた、
一部の人の思いつきで動かされるのかと
半ば諦め気味だが、
まあ文法以前に
英語に馴染むというのは、
つまり異文化を体験していくというのは、
それ自体悪いことだとは思わない。
 
だが、行為により扱われる法ではなく、
動機を検討する倫理といった観点からすると、
これが何のためであるかという発表に、
私は唖然とする。
 
海外で活躍できる人材を育成するため。
 
全員が海外で活躍したら、
この国はまずかったんじゃないだろうか。
「英語」ができれば「海外」で活躍できるのだろうか。
小学校から英語が教科になれば、英語ができるのだろうか。
むしろ海外で活躍するほどの英語となると、
義務教育の外で鍛えないと無理ではないだろうか。
 
このように、矛盾することだらけのように見える。
どうにも、
何か別の意図が隠れているように思われてならない。
海外人材育成などという、
奇妙な取って付けたような目的を言い訳にする必要はないし、
すれば不自然ではないかとすら思える。
 
異文化を大いに学べばよい。
だが、その大義名分が変だ。
英語の教員の配備だけでもえらい騒ぎとなる。
その教員もまた、君が代を強制することになるのだから、
そういう教員が果たして
英語を知っていると言えるのかどうか、
その辺りも私には疑問である。
 
女性に子を産めと脅迫するようなものを
配付しようともしていたが、
この新しい政府は、経済の好転を免罪符にして、
政府のための国家をつくり
国家に仕える、近隣の某国のようなものを
理想としているのではないか、という気がしてきた。