田舎だった。
それで昔、
我が家のトイレには、
便器が二つあった。
そういうところ、
多かったのではないだろうか。
「朝顔」と呼ばれるものだ。
水洗式に改造することになったとき、
現在のような一つに統合された。
だがそれも、
簡易水洗という形で、
下部構造には変わりがなかった。
風呂は石炭で焚いていた。
時折、石炭が配達された。
ミキサー車のようなところから、
すべり台のようなものを伝って、
石炭がじゃらじゃらと滑り降りてきた。
筑豊や福岡周辺でも
石炭は豊富に採れたためであろう。
それでも、決して安価ではなかったので、
我が家では入浴は二日に一度だった。
それが当たり前だと思っていた。
今のように毎日、とはいかなかった。
母の実家の禅寺では、
外にもトイレがあった。
表戸を開けた先にあり、
どうかするとそちらのほうが明るかったわけだが、
やはり怖かった。
かといって、母屋の奥のトイレに行くのは、
もっと怖かった。
通り抜けて行く部屋がいくつもあり、
そちらのほうがえらく恐ろしかったのだ。
やはりお寺というのは、怖いところだった。
(続く)
それで昔、
我が家のトイレには、
便器が二つあった。
そういうところ、
多かったのではないだろうか。
「朝顔」と呼ばれるものだ。
水洗式に改造することになったとき、
現在のような一つに統合された。
だがそれも、
簡易水洗という形で、
下部構造には変わりがなかった。
風呂は石炭で焚いていた。
時折、石炭が配達された。
ミキサー車のようなところから、
すべり台のようなものを伝って、
石炭がじゃらじゃらと滑り降りてきた。
筑豊や福岡周辺でも
石炭は豊富に採れたためであろう。
それでも、決して安価ではなかったので、
我が家では入浴は二日に一度だった。
それが当たり前だと思っていた。
今のように毎日、とはいかなかった。
母の実家の禅寺では、
外にもトイレがあった。
表戸を開けた先にあり、
どうかするとそちらのほうが明るかったわけだが、
やはり怖かった。
かといって、母屋の奥のトイレに行くのは、
もっと怖かった。
通り抜けて行く部屋がいくつもあり、
そちらのほうがえらく恐ろしかったのだ。
やはりお寺というのは、怖いところだった。
(続く)