先日テレビで特集があったが、
生命保険の注意点には、
なかなか厳しいものがあった。
 
健康告知について、
ささやかな虚偽についても、
加入後二年以内に死亡した場合など、
保険会社は健康診断などを
遡って徹底的に調査し、
告知義務違反が発覚すると、
保険金の支払いが停止されるのだという。
 
また、
年金支払いが滞っている場合、
支払期間が
規定の支払い基準に満たないとなると、
遺族年金が出ないという規定になっているのだそうだ。
 
しかし一カ月分足りないから、とゼロになるのは
さすがに気の毒だとして、
死亡直前の一年間にわたり滞納していなければ
支払いがあるといった説明もあった。
けれども、死亡後にその足りない分を
埋め合わせしますから出してください、というのは
認められないということであった。
 
私は番組を聞いただけであるし、
また、もしかすると聞き方が
間違っていたかもしれないので、
上の細かな情報については、
申し訳ないのですが、
関心のある方は自分で調べて対処してください。
 
さて、こうした保険などの規定を聞いているうち、
私の頭の中には、別のことが走り回っていた。
 
お分かりかと思うが、
神のいわゆる審きである。
 
神の前に、
自分の虚偽の申請など、通らない。
ちゃんと調べられている。
 
神の規定を満たしていない場合、
その報酬は与えられない。
新約聖書の場合は、キリストの信仰であろう。
いくら自分では良いことをしたつもりでも、
自分のためにしただけで神の定めと違えば、
自分を救う役には立たないということだ。
 
死ぬ前に足りない場合、
死んだ後に支払います、ということは認められない。
今日にでも、死んだら、
今日までの経過がすべてである。
そしてこの「今日」という日を、
自分で決めることはできない。
 
金持ちとラザロの話や、
蔵に財を貯めてその夜命が奪われることを知らない金持ちの話が
頭に浮かぶ。
 
しかし、十字架の上で救われた強盗のように、
死ぬ前に納めておけば
間に合うという場合も聖書にはある。
 
保険の規定は、
ひじょうに理に適っていると私は感じた。