大型連休が終わった。
日常がまた始まる。
 
しかし、連休の間こそ
勤務に明け暮れる、という人々もいる。
レジャー施設や商業関係もそうだ。
警察などの担当者もそうだし、
公共のもの、とくに交通機関の人々は
そもそもが休日観が違ってくる。
もちろん、医療従事者の中にも少なくない。
 
それぞれ、本当にお疲れ様である。
私とて、通常は人と逆の時間帯で仕事をしている。
だから、大勢と違うということ自体に抵抗は感じないが、
やはりよく考えてみれば、
過半数の動きと逆だというのは、
一般路線を外れているには違いない。
 
テレビのニュースの解説において、
「連休ですねぇ」と視聴者に呼びかけるのが、
どうにも腑に落ちない私である。
 
というのは、
その解説者自身は、休みではないからである。
自身が休みでなく仕事をしながら、
「休みですね」と語るのは、
まさに自分を消して見る人の多くの立場を
代弁しているわけであるが、
自己疎外のテーゼにほかならない。
いわば嘘をついているのである。
 
その嘘を聞いて、視聴者は、
そうだねぇと違和感なく受け止めているとなると、
奇妙な図式がそこにあることになるし、
さらに、「あの人は大変だねぇ」と
事情を察して熟知した眼差しで見ているとなると、
これまた奇妙な複雑さがそこにあることになる。
 
自己言及のパラドクスが前世紀に検討されたが、
改めてそれが取り上げられたということは、
人類はしょせん、論理的にすべてを
処理しているわけではなかったということになろう。
 
だのに、時として、
いかにも論理だということを前面に押し出して、
自らの立場を正義に定めようとするのだから、
人類の意図というものは、
とことん自己中心的であるということになろうか。