どうして信じられないのか。
外部からこの情景を眺める人は口にする。
 
信じられるはずがないだろう。
私たちがその場に置かれたら、どうしたか。
同じだろうと思う。
 
この復活に暗示されてか、
私たち現代のフィクションには、
あまりに多く、安易な「よみがえり」が転がっている。
私たちは、無感覚になっていくのだ。
 
疑似経験を繰り返していると、
新鮮味もなくなるだろうが、
感動も喜びも覚えなくなるかもしれない。
耳年増になることが
幸福であるとは限らないのと同様だ。
 
復活が信じられるような風潮が、今はある。
リセットすることが日常化しているためだ
しかしそれは、錯覚だ。
私たちは、取り返しのつかない現実に出合い、
時に茫然自失となる。
 
そのとき初めて、
何が大切であるのか、
思い知らされるのだ。
 
信仰というものは、
それを回復することでもあるのかもしれない。