裁判をたらい回しにされる。
病院のそれも辛いものだが、
公的手続きでたらい回しにされるというのは、
要するにその手続きが
うまく機能していない証拠であろう。
 
疲労困憊もお構いなし。
人々の憎しみがひとつに重なる。
善良な市民も、乗せられるようにして、
かんたんに暴力の一味となる。
 
まさに、
自分で何をしているか分からない。
 
この一日の出来事については、
どれほど黙想をしても、
言葉を連ねても、
追いつくことができない。
 
誰もが、これを風景として眺めず、
自分と結びつけて捉えるならば、
世界の風景は変わってくることだろう。
まずは、私である。
ほかの、誰かではない。
 
髑髏――されこうべ――なる名前の地。
地理的なものか、意味的なものか、
諸説があるにせよ、
まさに人の行き着くところ、
そして人の通らねばならないところ。
アダム以来の人の宿命が、
ここから変わる可能性があるところである。
 
七つの言葉が遺っている。
だが、福音書の初めからの言葉すべてが、
ここに集約されて、重さを示すとも言える。