この時期、
福岡の中学校では、
二年生が修学旅行に行くことが多い。
関西に行く学校が目立ち、
京都・奈良・大阪を巡るコースが一般的である。
そもそもどうして二年生なのか。
受験の時期を外しているのは理解できる。
ならばどうして「修学」なのか。
こういった疑問は当然あるらしく、
その名称を改めるケースもあるという。
そもそもそうしたことが必要なのか。
費用が出しづらい家庭もあるのではないか。
そんな考えも拡がり始めている。
給食費が払えないのに
修学旅行の積み立ては出せるというのも
なんだかすっきりしないし、
給食費の支払いを拒む親が、
毎月数万円も携帯電話やスマホ代を払っているのは、
もっと解せない。
お金にまつわることでは難しいものがあるが、
さて、教育上どうなのか、という点も気がかりだ。
ともに過ごす体験は、よい思い出になることも確かだが、
中には悪い思い出しかもたらさない子もいよう。
家族で旅行に行けない子への配慮といった
時代的な要請も今はどうなのか怪しいし、
どだい、一律に画一的な処遇が
適切であるかどうかという議論には無理がある。
(続く)
福岡の中学校では、
二年生が修学旅行に行くことが多い。
関西に行く学校が目立ち、
京都・奈良・大阪を巡るコースが一般的である。
そもそもどうして二年生なのか。
受験の時期を外しているのは理解できる。
ならばどうして「修学」なのか。
こういった疑問は当然あるらしく、
その名称を改めるケースもあるという。
そもそもそうしたことが必要なのか。
費用が出しづらい家庭もあるのではないか。
そんな考えも拡がり始めている。
給食費が払えないのに
修学旅行の積み立ては出せるというのも
なんだかすっきりしないし、
給食費の支払いを拒む親が、
毎月数万円も携帯電話やスマホ代を払っているのは、
もっと解せない。
お金にまつわることでは難しいものがあるが、
さて、教育上どうなのか、という点も気がかりだ。
ともに過ごす体験は、よい思い出になることも確かだが、
中には悪い思い出しかもたらさない子もいよう。
家族で旅行に行けない子への配慮といった
時代的な要請も今はどうなのか怪しいし、
どだい、一律に画一的な処遇が
適切であるかどうかという議論には無理がある。
(続く)