ホークスの小久保選手が
昨年現役引退をした。
大リーグでアメリカ人たちにも尊敬された
松井選手も引退を表明した。
どの選手にもくるひとときだが、
さすが大物である、
これだけの注目を浴びている。
ひっそりと、誰にも知らないかのように、
球界を去る人が多数いることを思うと、
こうした会見なりセレモニーなりができるのは、
恵まれた立場であるというか、
それだけの実績を遺したというか、
やはり大したものである。
そこで、いつも不思議に思うのが、
引退した後、新聞報道が急変するのだ。
試合経過の説明ではなく、
様々な発言やレポートについて、
それまで「小久保が」と書いていた新聞が
その日から「小久保氏が」と書く。
それまで「松井秀喜は」と書いていた新聞が、
その日から「松井秀喜さんが」と書く。
すでに選手ではなくなったのだから、
「氏」とか「さん」とか書くことに
抵抗があるわけではない。
また、たんに聞き慣れないから変だ、というのでもない。
だったらどうして、
選手時代には当然のことのように、
呼び捨てにするのか、ということだ。
試合の中継ならば、それはそれでいい。
実況中継は名前を挙げるのがせいぜいであろう。
だが、ひとたび記事として一個人を取り上げるときには、
○○選手、と呼んだほうがよくはないのか。
それまでの呼び捨てが、
引退したとたんに敬語を付ける、
その扱いが当然であるのならば、
選手時代は尊敬されていないことになる。
運動選手は、一個人として、見下されているかのようである。
言葉だけの問題だと言われるかもしれないが、
言葉は人の価値観や行動に基づくものである。
言葉を軽んじてはならない。
昨年現役引退をした。
大リーグでアメリカ人たちにも尊敬された
松井選手も引退を表明した。
どの選手にもくるひとときだが、
さすが大物である、
これだけの注目を浴びている。
ひっそりと、誰にも知らないかのように、
球界を去る人が多数いることを思うと、
こうした会見なりセレモニーなりができるのは、
恵まれた立場であるというか、
それだけの実績を遺したというか、
やはり大したものである。
そこで、いつも不思議に思うのが、
引退した後、新聞報道が急変するのだ。
試合経過の説明ではなく、
様々な発言やレポートについて、
それまで「小久保が」と書いていた新聞が
その日から「小久保氏が」と書く。
それまで「松井秀喜は」と書いていた新聞が、
その日から「松井秀喜さんが」と書く。
すでに選手ではなくなったのだから、
「氏」とか「さん」とか書くことに
抵抗があるわけではない。
また、たんに聞き慣れないから変だ、というのでもない。
だったらどうして、
選手時代には当然のことのように、
呼び捨てにするのか、ということだ。
試合の中継ならば、それはそれでいい。
実況中継は名前を挙げるのがせいぜいであろう。
だが、ひとたび記事として一個人を取り上げるときには、
○○選手、と呼んだほうがよくはないのか。
それまでの呼び捨てが、
引退したとたんに敬語を付ける、
その扱いが当然であるのならば、
選手時代は尊敬されていないことになる。
運動選手は、一個人として、見下されているかのようである。
言葉だけの問題だと言われるかもしれないが、
言葉は人の価値観や行動に基づくものである。
言葉を軽んじてはならない。