人は見た目で判断してはいけない。
そんな言葉がある。
しかし、実生活では判断せざるをえないため、
このせっかくの言葉も空虚なものとなっている。
言えるのは、せいぜい、
人は見た目で決めつけてはいけない、
という程度ではなかろうか。
いくらかの信用は置いている。
しかし、たとえば80%は疑っている、
というような見方は、してもよいのだ、と思うのだ。
自分のことを100%信用していないからと言って、
相手を怒るようなことを、あなたはするだろうか。
するとすれば、それは組織のボスと部下との関係なのか。
電車内でうるさいおしゃべり。
他人は聞きたくもないし、
他人の思考を明らかに妨害し、
感情を害する程度のものである。
振り返ると、描写はしないが、
ああ、いかにも、という見かけの若者。
見かけで、決めつけてはいけない。
その恰好の若者がすべて、
人のことなど考えない、とは言っていない。
だが、蓋然性が高い、という判断は止められない。
見た目で判断してしまった、ということで、
心優しい人は、自分の至らなさを猛省さえする。
人のことを思いやる人は、それほどに良心的である。
だが、もし決めつけてしまったのでなければ、
なにもそれは「裁いた」ことにはならない、と私は考える。
蛇のような賢さも、私たちは求められている。
人の悪をも、善として信頼しなければならない、
そんなことは聖書も述べてはいない。
騙されたままでいたほうがよいではないか、という声はある。
しかし、それは特定の場面におけるものであって、
パウロでも、概ね、誤りを見抜け、と吠えている。
電車に乗ったとき、
おしゃべりし放題の人から、私は離れていく。
楽しいおしゃべりを邪魔する権利は私にはないが、
同様に、静かにしたい大部分の人の権利をも、
そのおしゃべりをする人は踏みにじる権利などないのだ。
これは、たんなる見た目の問題ではない。
そんな言葉がある。
しかし、実生活では判断せざるをえないため、
このせっかくの言葉も空虚なものとなっている。
言えるのは、せいぜい、
人は見た目で決めつけてはいけない、
という程度ではなかろうか。
いくらかの信用は置いている。
しかし、たとえば80%は疑っている、
というような見方は、してもよいのだ、と思うのだ。
自分のことを100%信用していないからと言って、
相手を怒るようなことを、あなたはするだろうか。
するとすれば、それは組織のボスと部下との関係なのか。
電車内でうるさいおしゃべり。
他人は聞きたくもないし、
他人の思考を明らかに妨害し、
感情を害する程度のものである。
振り返ると、描写はしないが、
ああ、いかにも、という見かけの若者。
見かけで、決めつけてはいけない。
その恰好の若者がすべて、
人のことなど考えない、とは言っていない。
だが、蓋然性が高い、という判断は止められない。
見た目で判断してしまった、ということで、
心優しい人は、自分の至らなさを猛省さえする。
人のことを思いやる人は、それほどに良心的である。
だが、もし決めつけてしまったのでなければ、
なにもそれは「裁いた」ことにはならない、と私は考える。
蛇のような賢さも、私たちは求められている。
人の悪をも、善として信頼しなければならない、
そんなことは聖書も述べてはいない。
騙されたままでいたほうがよいではないか、という声はある。
しかし、それは特定の場面におけるものであって、
パウロでも、概ね、誤りを見抜け、と吠えている。
電車に乗ったとき、
おしゃべりし放題の人から、私は離れていく。
楽しいおしゃべりを邪魔する権利は私にはないが、
同様に、静かにしたい大部分の人の権利をも、
そのおしゃべりをする人は踏みにじる権利などないのだ。
これは、たんなる見た目の問題ではない。