このように、本屋大好きの私でさえ、
ネットで購入するようになってくると、
ますます、街の書店に危機が及ぶということになる。
そうして、書店はますます雑誌とコミックスになっていき、
あげくは書店自体が減っていくことになる。
スパイラルの発生である。
 
しかし、書店とはそういうものであるのかどうか。
そう、確かに減っていっているとはいえ、
学生街には、頑固親父がいた。
頑固親父と呼ぶ意味は、
そのご主人の趣味で本を仕入れるからであり、
また、一定のジャンルについては、
実に知識が豊富で、頼りになる店主だということだ。
 
つまり、こういう本はありますか、と相談すると、
それなら○○がいい、などと
学生に教えてくれるようなご主人がいたのである。
また、場合によってはその本を取り寄せてもくれるし、
書店のネットワークを使って、探してくれることもある。
とくに、
絶版書となると、古書店の店主の力は絶大であった。
また、洋書輸入書店の兄貴だと、
少しでも安く買える海外ルートも教えてくれた。
 
こうした「ひと」のつながりの中に、
本が位置していた。
そもそも本そのものが、
その著者と読者との、
「ひと」的な結びつきの関係の中に存在する。
本の中で、私たちは「ひと」との出会いを経験した。
そういう理解を、私たちはしていた。
 
今時の学生は、
もはや本の入手可能性でさえも、
インターネットの検索などで
個人的にできると思うようになっているのだろう。
本の評判も、ネットで調べれば、
いくらでも書評やコメントが出てくる。
むしろ誰か一人の個人的な意見に左右されないから、
客観的で信用できる情報だ、などとも思わされているのだろう。
 
私から見れば、それも程度問題である。
いい加減で無理解に基づく勝手な感想も溢れている情報の海で、
信用して失敗するということは、いくらでもある。
映画の評などがその良い例だが、本にしても同様である。
むしろその惑わしの危険性のほうが高いように思われる。
 
(続く)