古来、そうした神事に女性はタブーとされていた。
相撲の土俵と同じである。
伝統などという名前で拒むことがあるが、
時に「危険だから」などとも取って付けて、
とにかく汚れある女性は招き入れない。
汚れがそこに関わると、不吉なことが起こると捉えている。
 
聴覚障害者も、
同様に、高校野球の神事の中には、
招き入れがたい存在だったのだと思う。
理由にもならない理由をつけられて、
排除させられていく。
 
「いじめ」ることは世界に多々あるかと思うが、
いわゆる「いじめ」は、こうした思想土壌のある日本で
やはり独特の存在価値がある。
こういう思想の下で生まれ、だからこそまた継続する。
長いものには巻かれろ、式に
弱い立場の者を排除するのが当然という根本思想が、
「いじめ」の要因であるという点を否定することはできまい。
 
徹底的に、弱者を救済する思想をもつ
ヘブライズムに、
私が拠り所をもつ理由のひとつは
そのあたりにあるかと思っている。