人間は、そうしたありさまから逃れることはできない。
どこまでも、そうした「肉」に留まっている。
その中を歩く人生を止めることはできない。
 
だが、キリストに出会ったとき、
その「肉」ではない原理に従うことを喜びとできた。
キリストにあって生きるということは、
「肉」に支配されたままの人生ではない、ということだ。
 
自分が偉くなることではない。
自分がひとかどの者になることでもない。
実は自分はこんなに立派なのだ、と
自分を喜ばせることでは、断じてない。
 
この「肉」に支配されたままで、
何か勇敢に道を切り拓いて生きているわけではない。
キリストという規準がいつでも近づいてきて、
これに合わせてみよ、と働きかけてくれる。
 
「肉」という原理に溶け込んでいるのではない。
それだけで、救われている確信が得られるのも本当だ。
偉い人にはなれないだろうが、
傍から見れば強い人だと思われるのではないだろうか。