「心配をかけて申し訳ない」
学校教育現場から出る謝罪の言葉の
ステロタイプの言葉である。
 
これは、要するに
学校には責任がない、
学校は悪くない、
と言っていることである。
 
もちろん、偶々事件が学校という場所で起きただけで、
ほんとうに学校では防ぎようがない、という場合もある。
そのような時に使うならば、この言葉は適切である。
 
しかし、学校が規則を守っていなかったり、
明らかに学校内部が不始末をしでかし、
学校の人間が何かをやったり、
学校が当然するべきことを怠ったり、
はたまた私の知る例では、
学校側が虚偽の情報を発表していたりした場合でさえ、
頭を下げることなく、こう言うのだ。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
 
心配をかけた、というのは、
どちらかと言うと、
被害者側が口にする言葉である。
学校が加害の立場にある中で出す言葉ではない。
だが、
たしかに間違いなく、その時にも学校は
このような言葉を発する。
 
学校により被害を受けた側がこれを聞いたとき、
どう思うか、想像がつかないのだろう。
 
教育機関だから、
自分が間違ったことをしたと認めてはならない、と
勘違いをしているようだ。
子どもに、そんなことを日々教えているのだろうか。
自分の非を認めて「ごめんなさい」と言う、
学校はそれを教えない。
 
自分が悪くても嘘をついて平然としていなさい。
学校が教えるのは、そういうことであって、
これは国家間の争いのときに役立つ論理である。
そうだ。
学校は、こうした官僚を育成する機関でもあるわけだ。
なかなか立派な教育だ。