長崎の原爆は、
東京の人にとり、
ますます縁遠いものだろう。
ヒロシマだけ覚えておけば、
十分なのだろう。
 
九州にいるから、という意味でも
私たちには長崎が大きな存在なのだが、
この長崎、
クリスチャンとしては、やはり、
キリシタンの里、教会の街というイメージで、
原爆を想う機会が与えられる。
 
どうして、そんなことが。
なぜ神は、
信徒の街に、こんなことを。
 
私たちは、
ヨブ記というものを持っている。
しかし、私が見る限り、
ヨブ記は、あまり読まれていない。
私も、最近まで、
意味の分からない書のひとつだった。
 
研究者も、まだ評価が定まらない書の一つである。
たとえば、エリフという存在は何なのか、
意見が二分すると言われている。
 
一人一人が、
ヨブ記と向かい合い、
ヨブ記と対話することが、
もっと必要なのだと、強く思う。