それからまた、
今ごろ全国各地で、
「やばい」と、脛に傷持つ校長や教育委員会が、
一斉に証拠を始末しようと動いていることも、
私はまず間違いがないと思う。
 
考えてもみるがいい。
いたいけな中学生が、
理不尽な暴力の続く中に
毎日「義務」の名の下に足を向けないといけない強制の中で、
命を守るという教育の旗の下に、
そのリーダーたる教諭にさえ助長されるいじめを受け続け、
自ら命を絶ったのであるが、
これだけのことがあったにしても、
校長も教育長も、
これほどまでに逃げまくり、
言い訳の積み重ねを続けることができる世界なのだ。
 
同様に不条理な学校現場での失態や、
教諭たちのミスや規定違反、
はたまた人権無視などの理由によって、
ケガをしたとか、登校拒否や鬱病に陥ったとか、
その程度の生徒はゴマンといるはずだが、
そういうのに学校や教育長が、
「すみません」などと言うはずがない。
ハインリッヒの法則程度の見通しでも、
いじめに関して、
900の同類の学校教育世界の嘘が蔓延しているのである。
実際は、挙がっただけでも8~9万件とも言われる。
いじめのほかの理由に基づく歪んだ対応の事実は、
もはや天文学的数値のはずである。
 
実際、「やばい」と気づくだけ、
まだ人間として良心があると言える。
たいていの場合は、
自分がそんな理不尽なことをしても、
悪いと気づくどころか、
全く人の痛みも想像さえしない程度であろうと思われる。
あまつさえ、正当な申し立てをした保護者を
「モンスター・ペアレント」だと嘲笑うのである。
 
では一般の教諭はどうか。
実は、これは校長の厳しい管理下に立たされている。
校長に反目することは一切許されない。
かつて私は、一人の人間としてどう思いますか、と
なかなか優れた教諭に話をもちかけたことがあるが、
矛盾した校長の見解をオウムのように繰り返すだけであった。
校長の公式見解にはほんのわずかも
疑問を差しはさむ自由が、一般教諭には存在しない。
職員会議という名前の「会議」でも、
意見すら言うことは許されないのだから当然だ。
 
そもそも、校長の下に奴隷でしかない教諭というあり方、
教育長が校長の天下りポストであること、
それぞれ成立理由があって今日のように
定着した背景があるにせよ、
もうそれでは進めない状況になっている。
教育界は、ようやく明治政府の富国強兵などの政府主導政策の時代を
脱却しなければならないことが誰の目にも明らかになってきているのだ。