大津市のいじめ死の報道は、
耳を塞ぎたくなるほどのものとなった。
いや、聞かなければならない。
どんなに人が罪深いものか、
徹底的に晒したらいい。
 
ただし、それは個人攻撃をすることで
終わらせてはならない。
私たち人間というものは、
誰もがそうであるのだ。
自分の中に、
そういう性質があると知っているからこそ、
耳を塞ぎたくなるものなのであろう。
 
最初の報道の時から、
これはもう、教育委員会が何を考えていたのか、
はっきりしている、と思っていた。
彼らは、自分たちがそういう特殊な歪みの中で
組織を運営しており、組織の人間が思考しているということを、
もはや自分では認識することができないようになっている。
報道が進むとまた分かってくるものがあろうが、
要するに、教育の責任者などは、
ああいうふうなものである。
 
たとえば、永田町の論理、などという言葉がある。
政治家の感覚は庶民と違うではないか、などと言われる。
私は政治家にはもっと期待しているうちなのであるが、
それでも、永田町の論理という言葉の意味は分かる。
派閥の論理などともいう。
日々苦しんでいる被災者を前にして、
ええかっこしがへそを曲げて
いわば無駄なエネルギーを政局にもたらすのだ。
 
教育委員会には教育委員会の論理がある。
それが、報道されているような事である。
子どもを殺す動きも、
ぐうの音も出ないほどの証拠が出てこなければ
水に流すつもりでしかない。
 
今回は、警察もそれに絡んでいるわけで、
まあ警察も、親身になってくれることはまずないのは確かだが、
私の推測では、
教育委員会と警察とのつながりがたぶん、ある。
まあ、無責任なことは言わないほうがよいが、
組織というリヴァイアサンを、私たちは作ってしまった。
 
私の地元の公立中学の校長と教頭が、
そのことを私にはっきりと刻みこんでくれた。
こちらの頭がおかしくなったのだろうか、と思うほどに、
でたらめの嘘を平然とつき通し、なおかつ、
それは嘘ではない、と子どもでも言わないような詭弁を
せせら笑いながら繰り返すのだった。
そして、組織に巻き込んだ人々に、
被害者に対して暴言を吐くことさえさせつつ、
組織じゅうで手を取り合い、個人を潰しにかかるのだ。
教育委員会にすがり、手を組んでいたし、
福岡県の教育委員会も同様に嘘を平気で言うと分かった。
 
大津市長の涙が報道されていた。
若い女性市長である故の武器なのかもしれないが、
残念ながら、組織の道具となりかけている。
パフォーマンスに過ぎない可能性が今のところ高い。
 
市井の一人として、
被害のご両親などには
支援の声を捧げたいと思う。
だからと言って何もできるものではないかもしれないが、
教育界や警察、あるいは市そのものの
体質というか、人間としての理不尽さは
よく理解できるように感じている。
命が帰ってくるものではないが、
悔しい思いにも寄り添う人がいることは、
わずかな助けにでも、なりうるだろうか。