政治を担当する人々までもが、
この路線で動き始めると、危ないことこの上ない。
勝利は結果だ、という考えと、
勝利を目標にする、という考えとがある。
「勝利」という言葉を
「選挙」という言葉に換えてみると、
自体の深刻さが分かりやすくなるかもしれない。
思惑は隠して発言するのが美徳であるし、
ある程度その思惑を他者は読んでいるのは事実であるし、
それを表に立てずに水面下で阿吽の呼吸で
互いに利得を交換するようなものが政治であるなら、
議論とか民主主義とかいう言葉そのものさえ
カムフラージュに用いられていることがはっきりするはずなのに、
それさえも、暗黙の了解ということにしているのがこの国だ。
その意味では、奈良・平安時代とそう変わっているわけではない。
なにしろ、そういう与党も野党も、
「民主」という名前を掲げているのだから、
「ことば」が利用されるだけで、
重視されていないことは明らかである。
「言霊」というからには、
「ことば」の背後にある思惑のほうが重視されているのだ。
「ことば」が道具でしかないところに、
議論も民主もありはしないのだ。
この路線で動き始めると、危ないことこの上ない。
勝利は結果だ、という考えと、
勝利を目標にする、という考えとがある。
「勝利」という言葉を
「選挙」という言葉に換えてみると、
自体の深刻さが分かりやすくなるかもしれない。
思惑は隠して発言するのが美徳であるし、
ある程度その思惑を他者は読んでいるのは事実であるし、
それを表に立てずに水面下で阿吽の呼吸で
互いに利得を交換するようなものが政治であるなら、
議論とか民主主義とかいう言葉そのものさえ
カムフラージュに用いられていることがはっきりするはずなのに、
それさえも、暗黙の了解ということにしているのがこの国だ。
その意味では、奈良・平安時代とそう変わっているわけではない。
なにしろ、そういう与党も野党も、
「民主」という名前を掲げているのだから、
「ことば」が利用されるだけで、
重視されていないことは明らかである。
「言霊」というからには、
「ことば」の背後にある思惑のほうが重視されているのだ。
「ことば」が道具でしかないところに、
議論も民主もありはしないのだ。