福岡市の禁酒令は、
最初えらく話題になったが、
その後騒ぎは減って来ている。
禁酒といっても、家でではなく、
店での禁酒である。
 
猛烈な反対もあったという。
居酒屋さんなどの反対には理由がある。
お気の毒ではあると思う。
だから、
市長のパフォーマンスだ、などと
非難したくなる気持ちも、分からないではない。
だが、こんな「ばかばかしい」ことを
パフォーマンスでは、やはりやれないだろう。
 
深刻な事情が背景にある。
 
お酒関係の店のお叱りを受けそうだが、
ここで私たちは少し考えてみてもよい。
 
酒は本当に話し合いに必要なのか、と。
 
節電の必要性が叫ばれて、私たちは考える。
この電気は、本当に必要なのか、と。
 
そのように、少し頭を冷やしたらいい。
商談には、酒がないとできないのか。
会社の疲れを吹き飛ばすのに、酒がどうしても必要なのか。
 
タバコも似た傾向がある。
その人はタバコが必要だとしか考えず、
ついタバコを口にする。
だが、それを止めることの良さが分かれば、
あのタバコを求めていた自分は何だったんだ、ということになる。
 
料理や酒を楽しむことに、私は吝かではない。
気の合う者と酒を酌み交わす楽しさも知っている。
だが、世の中には、
酒である必要はないのに、酒を呑む口実を持ち出すようにして、
大事な話だとか交流会だとかを開くことも少なくない。
 
酒なしで心が開けないような関係のほうを
疑ってみたほうがよい場合もある。
それに、酒が飲めない人だって、
決して少なくないのではないだろうか。
 
人によっては、酒が毒にさえなる。
それを「飲めないのか」というふうに
設定してしまう場が健全であるとは思えない。
 
それでも酒があったほうが、などという声を、
私は否定しない。
だから、こうした機会で以て、
私たちは「酒とは何か」
考えてみたいどうなのか。
 
市長の願いも、
そのあたりに一つの焦点があるように思えてならない。
いや、とにかく不祥事に困憊しているというのだろうが。
 
福岡市ではそう聞かなくなったが、
他の地域では、公務員などが
今日もまた、酒の失敗を繰り返しているのを聞くことになる。