福岡市長が、
度重なる酒にまつわる不祥事に、
一ヶ月間、酒を外で飲まぬよう公務員に協力を願った。
一ヶ月間で効果があるのかどうかは別として、
ちょっと酒というものは何か、
考えてみる機会にはなることだろう。
居酒屋さんたちにはたまらないだろうが……。
 
この禁酒命令は法令に反し、
自由を侵害すると一蹴する意見がある。
それほどに切羽詰まっている
福岡市の状況に対しても、
そういう正義がぶつけられる。

他方、大阪ではどうか。
君が代に規律しない職員はクビ、
つまり自由思想は認められないとする。
人に見えないところで入れ墨をした人も切ろうとする。
こちらは反対の声は強くない。
むしろそれはよいことだと支持さえされている。

福岡のものは、
人を殺傷する行為を防ごうとする。
大阪のものは、
そんなことはない。
時に迷惑をかけるようなことのないことに対して、
いわば思想統制を強いるものだが、
まるで北朝鮮の指導者のように
逆らうと損だという空気があるかのように、
反対の声を出すことがない。
 
法とはどんなものか、知らない。
それでも、
福岡のものが法として問題を含むことは理解できる。
だが、心としては全くそうでもしないと、
被害者への誠実の「せ」の字にもならないと感じる。
それなのに、世間の空気は、人殺しを防ごうとする意見は潰され、
人を傷つけない自由は統制され処分を伴う。
そういう法を拍手で歓迎しようとさえしている。
 
案の定、
某衆議院議員は、
この禁酒令を、
中学校のくだらない校則に等しく、
権利を侵害するものだとして
全面的に否定し、見下している。
 
そういうことくらい、
福岡市長は分かっている。
だから法的に無効である上での依頼なのだ。
その苦渋の選択を、福岡市の公務員が
「オレは飲むぜ」と信念の上で、
何か起こしたらとてつもない責任を背負う覚悟で抵抗するなら、
飲めばよいと私は思う。
だが、直接何の痛みも感じない立場の者がとやかく言わないほうがいい。
 
この議員は、
自分の部下が繰り返し失態を犯していても、
きっと、あなたがたの自由を尊重するよ、と告げ、
部下が被害を及ぼしている相手の痛みは見ないのだろう。
 
それが、法なのだから、と。
 
法とは何だろうか。