沖縄返還から40年。
NHKが特集を組んで
放送をまとめているけれども、
民法のほうでは一向に関心がないように見える。
東電の値上げはけしからんと大声をあげるが、
沖縄の痛みを思うコメントは
視聴率には関係がないのであろう。
4月1日も知らないし、
知らせようともしないし、
荒れ野の四十年として
ドイツでは歴史に残る演説もあったのと対照的に、
5月15日も、知らせる価値さえないかのように見える。
6月23日という日に私は過剰な意味を加えたくないが、
それもまたニュースの片隅でしかないのである。
私も偉そうに多くを語れるわけではない。
日本本土から見捨てられた戦争の記憶もまた、
今見捨てられていく時代の中で、
その戦後に置かれた占領のありさまと、
いまだそれを引きずっている基地問題についても、
なかなか関心がもたれないことについて、
たかが私一人に何の立派なことが言えるか、知れない。
リゾート地として人を呼ぶことも大切だが、
南国はちょっと遊ぶのにいいね、程度しか
覚えてもらえないままでいるような現状である。
東北の被災地に寄り添うとか手を繋ぐとか
張り切って叫んでいた声も忘却の彼方にいったように、
沖縄など、もう意識されもしないような存在であるのかもしれない。
だから、
せめてその思い出すきっかけにでもなれば、と、
あるいは
何だろうと誰かが調べてみてくれたらいいが、と思いつつ、
こうして時折触れなければならない。
私のささやかな努力である。
忘れないために。
知ろうと思ってもらうために。
NHKが特集を組んで
放送をまとめているけれども、
民法のほうでは一向に関心がないように見える。
東電の値上げはけしからんと大声をあげるが、
沖縄の痛みを思うコメントは
視聴率には関係がないのであろう。
4月1日も知らないし、
知らせようともしないし、
荒れ野の四十年として
ドイツでは歴史に残る演説もあったのと対照的に、
5月15日も、知らせる価値さえないかのように見える。
6月23日という日に私は過剰な意味を加えたくないが、
それもまたニュースの片隅でしかないのである。
私も偉そうに多くを語れるわけではない。
日本本土から見捨てられた戦争の記憶もまた、
今見捨てられていく時代の中で、
その戦後に置かれた占領のありさまと、
いまだそれを引きずっている基地問題についても、
なかなか関心がもたれないことについて、
たかが私一人に何の立派なことが言えるか、知れない。
リゾート地として人を呼ぶことも大切だが、
南国はちょっと遊ぶのにいいね、程度しか
覚えてもらえないままでいるような現状である。
東北の被災地に寄り添うとか手を繋ぐとか
張り切って叫んでいた声も忘却の彼方にいったように、
沖縄など、もう意識されもしないような存在であるのかもしれない。
だから、
せめてその思い出すきっかけにでもなれば、と、
あるいは
何だろうと誰かが調べてみてくれたらいいが、と思いつつ、
こうして時折触れなければならない。
私のささやかな努力である。
忘れないために。
知ろうと思ってもらうために。