亀岡の事故について、
報道各社が、
関係者のプライバシーに配慮することの
申し合わせを行った、という記事があった。
 
それだけではない。
周辺住民の心情も考慮する。
現場付近の交通の妨げにもならぬよう。
また、子どもたちの不安もあおらないようにする、と。
 
よい心がけだと思うが、
逆に言えば、それらがここまで問題になっていた、ということだ。
 
さらに、その背景に、
病院からのマスコミ批判があったことを知った。
救命救急センターのブログである。
マスコミの取材が実にひどいと訴えていたというのだ。
 
名指しで大手新聞社が批判されたため、
事実と違うと新聞社側は反論。
病院側も、その他の新聞社であるかもしれない、とは言うものの、
ひどい取材をしていたところは確かに存在したことを確認。
こうして、一部のマスコミが
今時はもう許されないようなやり方をしていたのだと分かった。
 
大手新聞社は事実誤認だと反論した。
病院の許可をとり、
病院の責任者の立ち会いの下取材をしたのだ、と。
 
その通りなのだろう。
しかし、これまでもマスコミ各社は、
やらせをはじめ、人の心を傷つけるような取材を
した経験をもつ。
少しでも近く、またいわゆる特ダネを取ろうと、
記者も生活をかけて取材している。
許可は得ていたには違いないが、
ちょっとでも、の思いが人を傷つけなかったか、は分からない。
 
マスコミは、政治家を強く批判する。
たしかに法律では悪くないかもしれないが、
道義的にどうなのか、と必ず批判する。
法的に通ればなんでもよしとする風潮を憂う、と記事に書く。
 
許可があったから、それでいいのか。
責任者のそばにいたから、それでいいのか。
ほんとうに、被害者やその家族の身になる道義的な面で
問題がなかったと言えるのか。
少なくとも私がいくつか見たとき、
そんなその日に家族にマイクを向けなくても、と
痛々しく思うことがあった。
取材を受けてよいと言われたから取材した、という
いわば法的なオーケーで、それでいいのか。
 
マスコミ側にも、
自己を省みる機会があってもよいと私は思う。
許可を得たから構わないのだ、という口調の弁明は、
結局彼らが批判する政治家と同じ穴のムジナだ、と
私たちからは見えるのである。

 
ただし、被害者のプライバシーを
加害者の家族に知らせるといった、
ありえないことをやらかした警察は、
もはやそれ以前のレベルでしかないのだが。