一昨年亡くなったが、
森毅先生の著書のひとつに、
『まちがったっていいじゃないか』というのがある。
よいタイトルだった。
 
今日またそれを思い出したのは、
中学受験をする新六年生の授業に入った故だ。
やけに、おとなしい。
パワーが感じられない。
 
真面目に授業を受けろ、と
ほかの先生に厳しく言われているのかもしれない。
だが、能面のように表情も反応もなく、
では分かっているかと思いやらせてみると、
とんでもないという事態が明らかになる。
 
さあ書いてやってみよう、と
いくら明るく私が誘っても、
動こうとしない。
 
私が書いた板書を、間違いなく
ノートに記録したいらしい。
あるいは、自分でやってみて、
間違ったらいけない、と思うらしい。
 
最初からできるわけがないと考えてよいだろうし、
やってみなきゃ覚えられない、
さらに言えば、
間違わなければ正しさが分からないじゃないか、と
いくら訴えても、
ここまで培われた考え方や習慣は、
簡単には変わらない。
 
間違ってはいけない……と
学ぶ段階から萎縮しているというのは、
その結果のテストではげしく間違う結果を生む。
この矛盾に気づけばよいのだが、
そのことがどうにも分からない。
 
しかもこれが、塾でも中より上のクラスである。
つまりは、学校の勉強がかなりできるはずの子たちだ。
案外、それだから、なのかもしれない。