ただ、この京都の事故を通じて、
特定の病気の人が差別されるという事態は避けたい。
その名指された病気だけが悪いのではないのだ。
まして、その病人が悪いのではない。
誰もが、そうなる危険を背負っているとすべきだし、
きちんとした医療機関にかかっていれば、
適切な指導が行われるから、
それに従う以上は、
その病気の人も、他の人々と条件は同じだと見てよいはずだ。
 
ある特別な人が事故や事件を起こしたら、
とたんにその関係を悪者に仕立て上げて、
自分が善良であるように思いこみたいのが人間の真理である。
その論理が正しいならば、
世の中の警察官も教諭も政治家も、
ビジネスマンも商人も、製造業者も宗教家も、
すべて悪人であることになる。
あらゆる障害者も外を出歩くなということになりかねない。
 
自分もそのように排除される一人なのだ、
という発想からスタートするのでなければならない。
まず前提として、自分は本来そのように排除される者である、
だがいくらかのことを許して戴きたい、
そのためにはどのようにすればよいか、
どのようなきまりを守るようにすればよいか、
それを考えるのである。
 
すべてはそこからスタートする。
そのとき、人々の謙虚な選択が始まることだろう。

 
ただ、それにしても、
悲しい事故である。
亡くなった方、負傷された方、そうした方々の家族や関係者、
かける言葉もないが、
じっと心を傾けていたいと思う。