すべての車が歩行者としての自分を
見てくれているとは限らない。
そればかりではない。
ずての車が信号を守ると、思いこんではいけない。
黄色から赤になっても通過する車は
実のところ、日常茶飯事である。
しかし、それは意図的である場合が多い。
つまり、曲がりなりにも、状況を見て進行している。
 
恐ろしいのは、全く気づいていない場合である。
いわゆる信号無視にも、だから2種類あるということだ。
意図的なものと、全く意図していない場合と。
私は職場の近くの大きな道路で、
少なくとも二度、それを目撃した。
一度は、歩行者が本当に危なかった。
完全に、信号の見落としであった。
 
ケータイ電話しながら、
最近ではおそらく、スマホもしながら、
運転しているケースもあるだろう。
ケータイはもう日常茶飯事である。
運転していて前を走る車が何か様子が変だ、とにらんだとき、
追い抜き際にちらりと見ると、
案の定、ケータイだったということはよくある。
本人は、ちゃんとやっているつもりだろうが、
歩行者をはじめ、周囲の状況への注意は
どう見ても明らかに、気づきが欠けている。
本人だけが、大丈夫だと思っている。
 
だから、運転手が善良であるという思いこみは
捨てなければならない。
運転手にとっては、ほんのわずかな見落としに過ぎない。
だが歩行者は、それにより、ジ・エンドとなる。
これは公平な勝負ではない。
タバコの灰を落とすために窓を開けた車に轢かれて死んだとしたら、
ばかばかしいなどという話では済まないのが本人だ。
こんな不公平な比較はない。


(続く)