開会式での選手宣誓から、
決勝戦の最後まで、
東北の高校が中心にいた大会だった。
春の選抜甲子園野球大会。
 
この時期、
春期講習と重なるので、
実のところゆっくり試合は見られない。
ただ、去年のことを思い起こす。
震災直後、よくぞ大会が開けたものだ。
 
もとより、高校生スポーツは、
野球だけではない。
各球技はもちろん、球技ならぬスポーツ、
そしてまた文化部の中での大会や競争。
マスコミのエサとならない中での、
ひたむきな努力の数々が、
ひっそりと花咲いているはずだ。
 
今日は復活祭。
春分と満月との関係の中で、
キリスト教に詳しい人が
独自に定めた祝日である。
 
移動祝祭日は、
日本ではなじみが薄い。
ようやく、月曜日に祝日を定める制度が始まったものの、
復活祭はまるっきりどの週になるか知れない祝日だ。
来年は3月となり、
いわば2012年度の中に二度のイースターがある。
 
復活というと、「生き返ること」のように聞こえる。
だが、言葉からすると「起き上がらせられる」ようなことだ。
キリストの復活は、神が起こすこととして呼ばれている。
キリストとて、自力で立ち上がり復活を振る舞うのではない。
神の力により起こされるのだ。
 
復興も、それと似ている。
自分で、自力だけで、成り立つものではない。
助け合うことにより、復興へと進んでいく。
寄附金を贈るのも援助だろうが、
人や物を受け容れるのも、貴重な援助だ。
それが、絆を結ぶということだ。
 
一年が過ぎ、
一時の感情が薄れ、
結局のところエゴが花咲くことも、
いわば人間の仕方のない性である。
それを悲しむことはしない。
だが、人間とはそういうえげつないものだということは、
もう弁解してほしくない。
 
復活を信じる者は、
復興を信じている。
そしてそのためには、
私の力も無関係ではないことを知っている。
 
福島県の酒を
また私は手にした。