NHKの「ことば」に関する番組で、
若者(この言葉はまだ通用するのか)が、
「です・ます」を使えなくなる傾向がある、
という指摘があった。
このことが与える影響として、
初対面の人と話ができない、
ということが挙げられていたのである。
現象というのは、
実に様々な要因や背景をもっているものだ。
しかし、言葉という問題は、
実のところ、相当大きいだろう。
人間は、ものを「考える」というのは、
言葉によって考えているはずである。
となれば、あらゆる考える働き、つまり
精神的な要素の関わるあらゆる問題は、
言葉に基づくということでもある。
しかしまた、
です・ますもさることながら、
若者にとり、親や大人という存在が、
実に信頼のおけないものであるという前提が
甚だ拡がっているように私は感じる。
だから、です・ますばかりが原因ではない。
私たちもまた、上の世代から、
大いに懸念されたことであろう。
いったい彼らはどういう大人になるのか、
彼らの時代に世界はどうなっているのだろうか、と。
だからまた、私たちも同様に心配する。
もがきながら、
教えこまれたことが、
疑いや批判ばかりでありつつも、
気を回さず素朴に純であるような彼らが、
どういう世界を形成してゆくのだろうか、と。
若者(この言葉はまだ通用するのか)が、
「です・ます」を使えなくなる傾向がある、
という指摘があった。
このことが与える影響として、
初対面の人と話ができない、
ということが挙げられていたのである。
現象というのは、
実に様々な要因や背景をもっているものだ。
しかし、言葉という問題は、
実のところ、相当大きいだろう。
人間は、ものを「考える」というのは、
言葉によって考えているはずである。
となれば、あらゆる考える働き、つまり
精神的な要素の関わるあらゆる問題は、
言葉に基づくということでもある。
しかしまた、
です・ますもさることながら、
若者にとり、親や大人という存在が、
実に信頼のおけないものであるという前提が
甚だ拡がっているように私は感じる。
だから、です・ますばかりが原因ではない。
私たちもまた、上の世代から、
大いに懸念されたことであろう。
いったい彼らはどういう大人になるのか、
彼らの時代に世界はどうなっているのだろうか、と。
だからまた、私たちも同様に心配する。
もがきながら、
教えこまれたことが、
疑いや批判ばかりでありつつも、
気を回さず素朴に純であるような彼らが、
どういう世界を形成してゆくのだろうか、と。