世の中を変えたい、と考える若者が多い。
最近の調査に出ていたという。
 
細かなアンケートの内容を
今ここで分析しようなどとは考えない。
問題は、
これを取り上げるメディアやオピニオンのほうである。
 
概ねこの若者の気質を、
偉いものだ、真面目でよろしい、と
文句なしに褒めつつ報道し、
意見を出しているように見えるのだ。
 
きっと、
反抗的で、否定的で、あるいは自堕落な、
そんな若者ではないということで、
よい子だというふうに受け取られているのだろう。
 
私も、人情的に、
若者の真面目な姿勢を評価している一人である。
 
だが、ブレーキをかけるのも、
私の役割であろうと受け止めている。
 
危険でないだろうか?
それは、若者が、というのもあるが、
この考えをすっかり肯定的にヨイショする世の中が、だ。
 
何ごとでも、変えることが良いことのように見えてしまう。
変えよう、という意見のほうを支持するようになる。
それがどんなことにつながるのか、いや、
未来が分からないなどということで口を挟むのではない。
過去を顧みれば気づくかもしれないような、
いわば同じ道を、失敗の道を歩まないか、という懸念である。
 
私たちは、歴史から学んでいるのだろうか。
 
「なんだか変えてくれそうだから投票した」
という理由で票数を集めた選挙が、
圧勝を示したという最近の出来事はどうなのか。
 
教育に政治が強圧をかけるのをよしとしているが、
明らかに憲法あるいは法律違反である。
だが、変えたほうがよい、という空気は、
違反をも支持している。
この勢いが加速すれば、
法律も憲法も自由に変えられていくだろう。
事実、いくらか前の内閣は、
憲法改正をより容易にする準備をしている。
 
(続く)