マンガの本が、あることあること。
書店に行って、改めて驚いた。
いや、
街の小さな書店そのものが激減しているわけだが、
その残った書店にある本の半分ほどが
コミックスか雑誌であるというのは、
ほぼ常識化している。
 
私の見たのは、
都市中央部の巨大書店だ。
居並ぶコミックスの、果てしなく多いこと。
 
これだけを読む暇は、とてもない。
マンガ好きでもそうだろう。
マンガ評論家が目を通しているマンガも、
氷山の一角でしかないのではないか。
偶々自分の感性に合ったものを見いだしては評論する、
まさかその程度でプロを名乗りはしないだろうが、
ずいぶんと苦労や努力があることだろう。
 
全少年が食い入るように読んだ――
誰もが発売日を待った――
そんな雰囲気は、
マンガ自体が少なかった頃のエピソードだ。
ぼくは○○派、わたしは○○派、
そう言い合ったのも、
いわば寡占状態であればこそだ。
今のように散らばりすぎては、
砂浜の中に一つ貝殻を見つけては、
ぼくが見つけた宝物、と抱きしめるよりほかない。
別々の宝物を愛でつつ、
ぼくらは貝殻ファンだよね、と連帯し合う程度だ。
 
しかし、事はマンガには限らない。
一般の小説や評論そのものも、
そんなものだ。
出版社は、
一つの本を、
手をかけて生み出し、育んでも、
どれほどの人の目にとまるのかどうか、
まったくたまらないだろうと思う。
 
作家でなく、出版社として、
年にひとつヒット作があれば、という程度か。
だとすれば、プロ野球の選手どころではない、
ほんとうに宝くじの一等当選くらいの覚悟で
出版をしないといけないことになる。
殆ど日銭を稼ぐような仕事が続いているのだろう。
 
そして、
人は本を読まなくなった。
読むのが面倒くさくなった。
人々の思考が平坦になっていく。
「ハウツー」を軽んじる風潮が以前にはあったが、
昨今はそれすら知らないで済ませられる日常だ。
 
対立意見を検討するゆとりもないから、
あることを一途に真理と信じこんでしまう。
本当は、そこのところがいちばん怖い。