電子書籍がえらく話題になり、
元年だと騒いでいたのは、
去年だったか、今年だったか。
だが、いつしかそう言われなくなった。
たぶん、震災を境としてだと思う。
それどころではなくなったのだ。
私はSonyのReaderを最初に知って、
ほしくなった。
カラーで通信もできるiPadなど、
派手なハードウェアの影で、
Readerなど、全く魅力のないものとして
世間では受け取られていたようだ。
だが、いぶし銀のような魅力がそれにはあった。
本としての読みやすさは、
他の通信ものの比ではない。
そして、インターネット接続できないじゃないか、と
誰もが言いそうなことに対しても、
私にとりこれは原稿を読むためのものであって、
通信機能などまるで不要なものであるに違いなかった。
たとえば私が自分自身で書いたものを入れて持ち歩くのに最適だ。
何より役立ったのは、
聖書を持ち歩ける点であった。
通読が、どこでもできる。
重い、あるいはかさばる聖書を持ち歩かなくて済むのだ。
一年を経て、
Readerは少し機能が増すという。
それはそれでよいことだ。
私は別に元ので不自由もないし不満もない。
紀伊國屋書店がReaderの電子書籍を扱い始めたのは
少しいいなと思った。
ポイントが付くので、
これまで通信販売は紀伊國屋書店ばかりであった私には、
好都合ずばりなのだ。
とくに、紀伊國屋書店で購入した電子本は、
パソコン画面でも読める仕組みになっている。
Readerは市販本を読むには、
白黒設定なのでカラー図版が分からない点は分かっていた。
それもパソコンでカバーできるなら、申し分ない。
不思議なもので、
最初これで読むのに体が慣れない面があったのだが、
最近すんなり分かりやすく読めるようになってきた。
慣れだろう。
思考しながら読むのにもうまくいきつつある。
最初、それが難しかった。
まだこれからの道具である。
スマートフォンは楽しいかもしれないが、
評判のラーメン屋を知りその地図が分かる、といった
利用法を大きく越えて利用している人が、
はたしてどのくらいの割合でいるのか、
聞いてみたいものだとも思う。
元年だと騒いでいたのは、
去年だったか、今年だったか。
だが、いつしかそう言われなくなった。
たぶん、震災を境としてだと思う。
それどころではなくなったのだ。
私はSonyのReaderを最初に知って、
ほしくなった。
カラーで通信もできるiPadなど、
派手なハードウェアの影で、
Readerなど、全く魅力のないものとして
世間では受け取られていたようだ。
だが、いぶし銀のような魅力がそれにはあった。
本としての読みやすさは、
他の通信ものの比ではない。
そして、インターネット接続できないじゃないか、と
誰もが言いそうなことに対しても、
私にとりこれは原稿を読むためのものであって、
通信機能などまるで不要なものであるに違いなかった。
たとえば私が自分自身で書いたものを入れて持ち歩くのに最適だ。
何より役立ったのは、
聖書を持ち歩ける点であった。
通読が、どこでもできる。
重い、あるいはかさばる聖書を持ち歩かなくて済むのだ。
一年を経て、
Readerは少し機能が増すという。
それはそれでよいことだ。
私は別に元ので不自由もないし不満もない。
紀伊國屋書店がReaderの電子書籍を扱い始めたのは
少しいいなと思った。
ポイントが付くので、
これまで通信販売は紀伊國屋書店ばかりであった私には、
好都合ずばりなのだ。
とくに、紀伊國屋書店で購入した電子本は、
パソコン画面でも読める仕組みになっている。
Readerは市販本を読むには、
白黒設定なのでカラー図版が分からない点は分かっていた。
それもパソコンでカバーできるなら、申し分ない。
不思議なもので、
最初これで読むのに体が慣れない面があったのだが、
最近すんなり分かりやすく読めるようになってきた。
慣れだろう。
思考しながら読むのにもうまくいきつつある。
最初、それが難しかった。
まだこれからの道具である。
スマートフォンは楽しいかもしれないが、
評判のラーメン屋を知りその地図が分かる、といった
利用法を大きく越えて利用している人が、
はたしてどのくらいの割合でいるのか、
聞いてみたいものだとも思う。