しかし、何かの事情で子どもを失った人は、
この「当然」から外れたことでまた、
社会的に外れていくこともまた起こるものだろう。
それもまたあること、というふうには受け止めにくいのだ。
 
そして、出生率の低下の問題、
ひいては人口や年金、将来の経済的国家像へとつながる問題がある。
子どもを病気や事故から守ろうという健気な努力が、
子どもを激減させているという皮肉がここにある。
 
クリスチャンの私にとり、
七五三はどうでもよいことでもある。
だが、子どもをどう意識するか、
社会がどう捉えているか、
その前提や無意識の受け止め方は、
考察して損はない。

事実、教会でも、子どもの減少は深刻なのだ。
そもそもキリスト教会というものを、
数値や社会的資料の中で読みとるということは
相応しくないに違いない。
ダビデは、人口を数えただけで咎められている。
 
しかし、少子化ですから、というふうに
自分を安心させるだけの言い訳で
笑って済ませられる問題でもないと思うのだ。
 
成人が、「結婚」に至らないというのがまた、
大きな背景になっているとも言われる。
教会にもまた、独身で年を重ねる人が多い。
 
それはもちろん人の生き方であるのだから、
ハラスメントになってはいけない。
だが、何かメンタルな面での問題があるとすれば、
それは一考に価する。
 
子どもの問題は、いつでも親に起因するのかもしれない。