気のせいか、
七五三の子の姿を見なくなった。
今日15日が平日であるからであり、
近い日曜日は盛況するのだろう、という考えもあろう。
だが、教会に行く途中に通る大きな神社でも
そういうふうには見えなかった。
神社の前にある写真館も閑古鳥だった。
千歳飴がひとつのステイタスだった。
子どもの無事を祈り、また感謝する、
日本人の文化であったが、
伝統文化が廃れるということ以上に、
何か意識の点で疑念が沸く。
子どもは無事に育つ、それが
当たり前になってきているのだ。
それは結構なことなのだが、
七五三まで育つことをありがたやと思う心は、
今の時代には、微塵もないと言って差し支えない。
無事でいて当然だから、
何かあると訴訟沙汰になる。
大きな事件として報じられる。
それもまた、悪いことではもちろんないのだが、
無事が前提という考えの基盤がそうさせているのも事実だ。
これは、
子どもが王様になっていくこととも無関係ではない。
(続く)
七五三の子の姿を見なくなった。
今日15日が平日であるからであり、
近い日曜日は盛況するのだろう、という考えもあろう。
だが、教会に行く途中に通る大きな神社でも
そういうふうには見えなかった。
神社の前にある写真館も閑古鳥だった。
千歳飴がひとつのステイタスだった。
子どもの無事を祈り、また感謝する、
日本人の文化であったが、
伝統文化が廃れるということ以上に、
何か意識の点で疑念が沸く。
子どもは無事に育つ、それが
当たり前になってきているのだ。
それは結構なことなのだが、
七五三まで育つことをありがたやと思う心は、
今の時代には、微塵もないと言って差し支えない。
無事でいて当然だから、
何かあると訴訟沙汰になる。
大きな事件として報じられる。
それもまた、悪いことではもちろんないのだが、
無事が前提という考えの基盤がそうさせているのも事実だ。
これは、
子どもが王様になっていくこととも無関係ではない。
(続く)