内容的には昨日の続きとなる。
 
サインというよりもハンコがものを言う社会。
それはそれで社会通念だからいい。
その印鑑も
担当者が
実印かどうか大変慎重に調べる様子も見た。
必要な個所に捺印されているかどうか、
幾度も幾度も頁をめくり
調べ上げることも分かった。
 
これは「契約」なのである。
 
契約は重要である。
互いにその証拠を手にしておく必要がある。
だから、二通作る。
常識だ。
 
また、割り印を押して、
それが本物であることを証明する。
勘合符は決して古代の産物なのではない。
 
そして、契約に反したときには
どういうことになるのか、銘記されている。
 
念には念を入れた契約を交わすシーン。
その契約の結果が示す、重さ。
そう、
契約は、重いものなのだ。
 
神と人との間の「契約」はどうだろうか。
旧約聖書では、その契約の重みが
随所に描かれている。
アブラハムのとき、二つに裂いた鳥がそこに置かれた。
履物を渡すという場面もあった。
そしてそれを破ったイスラエルに対して
神がいかに厳しい審きを下すか、
それも延々と記されている。
 
旧約、新約、という「約」はまさに
契約の「約」である。
 
十字架の犠牲をもってしてまで
その契約を再び成し遂げた神については、
まことに「愛」と呼ぶものでしかないし、
その「愛」で「義」を通したことも確かである。
 
「契約」と「愛」の言葉の重みを
改めて覚えるのだった。