私の認識では、
アルコールは、ほとんど薬である。
幸い、分解酵素のせいか、ひどく酔うことはない。
まだ若い学生のころは、一晩で一升あけて、
哲学談議を尽くしていたこともあった。
 
信仰をもってしばらくは口にさえしなかったが、
体によい成分も多々あることから、
そのうち適量を楽しむようになった。
現今のものとは若干違うものであろうとは言われるが、
ぶどう酒は体によいから飲むようにせよ、と
新約聖書の書簡にあるくらいだから、
何もアルコールを口にしたらいけないという掟があるわけではない。
 
宗派によってはしかしその罠も考えて、
一切口にしないと取り決めしているところもある。
ナジル人のように神に誓約をして酒を口にしないグループが
旧約の時代にあったことも分かる。
新約の時代に大酒のみの女性も当時かなりいたらしいことも窺える。
そうやって酒にまつわる話を聖書から集めるのも面白い。
いずれにしても、
救いの本質がそれで決まるわけでないという理解で構わないものだろう。
 
安いものをがぶ飲みして酔うのを求める、
そんな呑み方もあるだろう。
だが、年齢を重ねると、
少量で良いものを味わいたくなる。
よく食べ物についてそのように言われるが、
嗜好品もまさにそうである。
 
それでいて、投機的に高い値がついたものが
味もよいとは限らない。
自分に合っているとも限らない。
負け惜しみかもしれないが。
 
特にワインの価格にはその傾向が強い。
ワインの趣味は、私のような者にはもてないと言える。
しかも、やはり味の細やかさや深さにおいて、
ワインは日本酒に及ばない。
 
聖書の中でワインは様々な意味をもつ。
かの世界では、ワインとおそらくビールに価するものがあった。
ワインも一歩違うと酢になるようなものであったかもしれないし、
ビールも今のものとは同じだとは言えない。
 
ビールはやはり暑いときには爽快だ。
これも純米、ではないが、
純麦に限ると私は感じる。
ドイツ式に、麦芽とホップのほかは入れないであるのこそビールだと考える。
いや、多くの国での基準はそうであるらしい。
「ジュース」と呼べるのが果汁100%のもののみであるように、
ビールもまた、他のものが入ってはならない。
なにぶんにも、そのほうが明らかに味が深い。
 
酒税のせいで、そればかりでいるわけにはゆかず、
発泡酒からリキュール類と、ビール風味の酒が広まっているが、
もはや肴のための苦みドリンクという程度で妥協しているのだろうか。
 
酒の味わいをしみじみと語れるような、
そんな相手と呑むのもよい。
通な人が特定の飲み屋に通うのも、
そういうところからかもしれない。
 
そうした場での話のように、
酒にまつわる話は尽きない。
寒い夜、
ぬる燗で半合だけ戴く。
極上の時を手にする思いがする。