去年、秋は現れなかった。
猛暑から一転、
急激に寒い冬が訪れた。
人々はそう感じた。
今年も、急に寒くなったように感じる。
だが、これまで暑さに慣れていたからだが、
僅かでも気温が下がると
ひどく寒く感じるだけ、という考え方もある。
人は、慣れにより判断をすることがある。
テレビの天気予報でもしばしば、
明日の気温は今日と比べて何度高いか低いか、を示す。
この相対的な尺度が、
私たちの感覚の実感に役立つからだ。
つい同じ気温という前提でいるから、
半袖で翌日同じように出て行くと、
えらく寒いなあと感じてしまうことにになる。
比較的、相対的な感覚が人の常なのだ。
最初は、
悪いことをするのにためらいを覚える。
しかし、その悪が発覚しないと、
そしてうまくいった利得感が強いと、
またそれを行ってしまう。
つまり、犯行がエスカレートする。
何も、凶悪犯罪に限らない。
私たちは、自分では感じないほどに、
じわりじわりと悪の谷に滑り落ちていく。
ひところ教会でよく言われた、
カエルを水から煮たら気づかず茹で上がる、という逸話は
およそありえない話であるようだが、
たとえとしては面白い。
まさに私たちは、少しずつ、知らず識らずのうちに
取り返しのつかないところにまで堕してしまう。
相対的な生き方が日常であるのはその通りだ。
だが、私たちにはどこか絶対的な、
動かない基盤というものがあったほうがいい。
私たちはやがて、なあなあでは済まないところに辿り着く。
そのとき、もう取り返しのつかないことに気づいても、
もうどうしようもないのだ。
光あるうちに、光の中を歩め。
聖書の言葉が、そのときに効いてくる。
猛暑から一転、
急激に寒い冬が訪れた。
人々はそう感じた。
今年も、急に寒くなったように感じる。
だが、これまで暑さに慣れていたからだが、
僅かでも気温が下がると
ひどく寒く感じるだけ、という考え方もある。
人は、慣れにより判断をすることがある。
テレビの天気予報でもしばしば、
明日の気温は今日と比べて何度高いか低いか、を示す。
この相対的な尺度が、
私たちの感覚の実感に役立つからだ。
つい同じ気温という前提でいるから、
半袖で翌日同じように出て行くと、
えらく寒いなあと感じてしまうことにになる。
比較的、相対的な感覚が人の常なのだ。
最初は、
悪いことをするのにためらいを覚える。
しかし、その悪が発覚しないと、
そしてうまくいった利得感が強いと、
またそれを行ってしまう。
つまり、犯行がエスカレートする。
何も、凶悪犯罪に限らない。
私たちは、自分では感じないほどに、
じわりじわりと悪の谷に滑り落ちていく。
ひところ教会でよく言われた、
カエルを水から煮たら気づかず茹で上がる、という逸話は
およそありえない話であるようだが、
たとえとしては面白い。
まさに私たちは、少しずつ、知らず識らずのうちに
取り返しのつかないところにまで堕してしまう。
相対的な生き方が日常であるのはその通りだ。
だが、私たちにはどこか絶対的な、
動かない基盤というものがあったほうがいい。
私たちはやがて、なあなあでは済まないところに辿り着く。
そのとき、もう取り返しのつかないことに気づいても、
もうどうしようもないのだ。
光あるうちに、光の中を歩め。
聖書の言葉が、そのときに効いてくる。