耳にする機会が多くなった言葉の一つに、
「パワースポット」というものがある。
そこに行けば、何か力をもらえる、
元気になる、そんな「場所」のことだという。
アニミズムのような信仰から来たのだろうか。
自然崇拝のようなもので、
たとえば山岳信仰といったものが、元来それに当たるのではないか。
しかし、最近の使われ方はそういうわけではない。
いわゆる風水もこの概念の一つに入れられるかと思うが、
自分にとり何か精神的なものを強くしてもらえる、
特別な場所でさえあれば、
たぶんどこぞの店でもコンサート会場でも、何でもよい。
彼氏の家の方を向くだけで力を、なんてこともあるのだろうか。
いずれにしても、
これらはどこか宗教的行為である。
特定の宗旨をもつものではないが、
信仰心からくる行為だと言うことができるだろう。
スピリチュアルという商業行為の中で使われることもある。
こうなると、宗教心を利用しての
ただの金目当てだと言われても仕方がない。
そういう世情の中では、
こんなことも言えるような気がしてきた。
最高のパワースポットは、
キリスト教会ですよ、と。
とくに、人を見ずに神を見るのであれば、
戴けるパワーは、底知れぬものである。
この創造者であり救い主である神を崇める場が、
力を与えてくださらないはずがない。
さらに言えば、
聖書を開けば、
つねにそこがパワースポットにさえ、なると言えるのだが。
「パワースポット」というものがある。
そこに行けば、何か力をもらえる、
元気になる、そんな「場所」のことだという。
アニミズムのような信仰から来たのだろうか。
自然崇拝のようなもので、
たとえば山岳信仰といったものが、元来それに当たるのではないか。
しかし、最近の使われ方はそういうわけではない。
いわゆる風水もこの概念の一つに入れられるかと思うが、
自分にとり何か精神的なものを強くしてもらえる、
特別な場所でさえあれば、
たぶんどこぞの店でもコンサート会場でも、何でもよい。
彼氏の家の方を向くだけで力を、なんてこともあるのだろうか。
いずれにしても、
これらはどこか宗教的行為である。
特定の宗旨をもつものではないが、
信仰心からくる行為だと言うことができるだろう。
スピリチュアルという商業行為の中で使われることもある。
こうなると、宗教心を利用しての
ただの金目当てだと言われても仕方がない。
そういう世情の中では、
こんなことも言えるような気がしてきた。
最高のパワースポットは、
キリスト教会ですよ、と。
とくに、人を見ずに神を見るのであれば、
戴けるパワーは、底知れぬものである。
この創造者であり救い主である神を崇める場が、
力を与えてくださらないはずがない。
さらに言えば、
聖書を開けば、
つねにそこがパワースポットにさえ、なると言えるのだが。