他人が及ぼす危険については
過敏なほどにうるさく、また
激烈に指摘するのに、
自分が他人に及ぼす危険の可能性については、
「大丈夫だろう」と甘いことこの上ない。
甚だしくは、全くそれに気づかない、いや、
気づこうともしないのである。
時折、これが逆になっている人がいる。
自分に厳しく、他人に優しい、と言われる。
寛容の精神は、そういうところにしか生まれない。
だが、現実の大部分はそういうものではない。
自分が他人にかける迷惑に、
日本人は敏感であるかのようである。
が、私は近年、それが伝説に過ぎないことを確信している。
いや、旅の恥はかき捨てという言葉があったくらいだから、
それはおそらく近年に限ったことではないだろう。
今日も、街を歩き、交通機関を利用するとき、
そういう精神を絶え間なく感じることになる。
その不愉快を覚えないようにするには、
代価を払ってサービスを買い取らなければならないようだ。
いや、払ってもなお不愉快であるケースも実に多い。
聖書の中に、
商売のときに秤を正しく用いよということが
幾度か繰り返されている。
それほどに、商売で錘をごまかすなどの
悪辣なことが行われていた証拠である。
だが、要するに自分と他人をはかる物差しの違いは、
まさにそういうことであるわけだ。
私たちが、日常茶飯事に行っていることだったのだ。
過敏なほどにうるさく、また
激烈に指摘するのに、
自分が他人に及ぼす危険の可能性については、
「大丈夫だろう」と甘いことこの上ない。
甚だしくは、全くそれに気づかない、いや、
気づこうともしないのである。
時折、これが逆になっている人がいる。
自分に厳しく、他人に優しい、と言われる。
寛容の精神は、そういうところにしか生まれない。
だが、現実の大部分はそういうものではない。
自分が他人にかける迷惑に、
日本人は敏感であるかのようである。
が、私は近年、それが伝説に過ぎないことを確信している。
いや、旅の恥はかき捨てという言葉があったくらいだから、
それはおそらく近年に限ったことではないだろう。
今日も、街を歩き、交通機関を利用するとき、
そういう精神を絶え間なく感じることになる。
その不愉快を覚えないようにするには、
代価を払ってサービスを買い取らなければならないようだ。
いや、払ってもなお不愉快であるケースも実に多い。
聖書の中に、
商売のときに秤を正しく用いよということが
幾度か繰り返されている。
それほどに、商売で錘をごまかすなどの
悪辣なことが行われていた証拠である。
だが、要するに自分と他人をはかる物差しの違いは、
まさにそういうことであるわけだ。
私たちが、日常茶飯事に行っていることだったのだ。