しかし、時として
そのでたらめなことを真に受けてしまうことがある。
「憂いをもった人こそ優しい」というのも怪しいものだし、
感覚だけで思いこんでしまう危険が多々あるのは確かだ。
「情報」には感情・情けがあるはずなのに、
冷たく扱われるのはいかがなものか。
最近、そんな文章にも出会った。
確か、立派な著述家ではなかったか。
人間、無知な領域のほうが遙かに大きいことは当然だが、
これだけインターネットの発達している時代でもあるから、
ちょっと調べてみるくらいのことは、あってよいだろう。
もちろん、語源的な問題は簡単に解明されるものではないのが一般だが、
少なくとも「情報」という語は日本人発案の語であり、
「敵情報告」のような軍事的関連から生まれたのだろうと言われている。
なにげない言い回しにまで目くじらを立てることはないが、
言葉の意味はこうである、と明言する場合には、
ちょっとその意味を調べてみる手間を惜しんではならない。
著者の権威と共に、誤った情報をばらまくことになりかねない。
これもまた、風評加害となりうるのである。
かくいう私も、
どれほど嘘八百を並べ立てているものであるか……。
せめて、自分の思考と視点だけは、
誰が否定しようと証しできるものでありたいものだが。
そのでたらめなことを真に受けてしまうことがある。
「憂いをもった人こそ優しい」というのも怪しいものだし、
感覚だけで思いこんでしまう危険が多々あるのは確かだ。
「情報」には感情・情けがあるはずなのに、
冷たく扱われるのはいかがなものか。
最近、そんな文章にも出会った。
確か、立派な著述家ではなかったか。
人間、無知な領域のほうが遙かに大きいことは当然だが、
これだけインターネットの発達している時代でもあるから、
ちょっと調べてみるくらいのことは、あってよいだろう。
もちろん、語源的な問題は簡単に解明されるものではないのが一般だが、
少なくとも「情報」という語は日本人発案の語であり、
「敵情報告」のような軍事的関連から生まれたのだろうと言われている。
なにげない言い回しにまで目くじらを立てることはないが、
言葉の意味はこうである、と明言する場合には、
ちょっとその意味を調べてみる手間を惜しんではならない。
著者の権威と共に、誤った情報をばらまくことになりかねない。
これもまた、風評加害となりうるのである。
かくいう私も、
どれほど嘘八百を並べ立てているものであるか……。
せめて、自分の思考と視点だけは、
誰が否定しようと証しできるものでありたいものだが。