漢字には意味がある。
表意文字は、
世界的に見て現在では珍しいようだ。
視覚的に意味を把握していく。
これは、速読・速解には都合がよい。
音を意味に変換するのでなく、
意味を直接把握できるからだ。
全く同じというわけではないのだが、
日本語をわざわざローマ字変換して
キーで打ち込むというのは、
意味を音に分解し、分解した音を意味に変換する非効率なやり方だ。
だから元来そういうふうには日本人はやらなかった。
さて、意味で掴む漢字であるゆえ、
漢字に意味を独自に盛り込ませることがある。
筆談ホステスと呼ばれた人は、
それが巧みだった。
「辛」いのは「幸」せになる途中なのです、などと言われると、
オジサンはころっとまいってしまう。
独りでは立てないからもう独りが支える、
だから「人」という字なんだ、
などと金八先生も言っていたのではなかったか。
もちろん、語源や成り立ちからすれば
全部でたらめである。
だのに、尤もらしく思えてしまうところが、漢字たるものだ。
すべて「意味」があるから、そうなるのである。
(続く)
表意文字は、
世界的に見て現在では珍しいようだ。
視覚的に意味を把握していく。
これは、速読・速解には都合がよい。
音を意味に変換するのでなく、
意味を直接把握できるからだ。
全く同じというわけではないのだが、
日本語をわざわざローマ字変換して
キーで打ち込むというのは、
意味を音に分解し、分解した音を意味に変換する非効率なやり方だ。
だから元来そういうふうには日本人はやらなかった。
さて、意味で掴む漢字であるゆえ、
漢字に意味を独自に盛り込ませることがある。
筆談ホステスと呼ばれた人は、
それが巧みだった。
「辛」いのは「幸」せになる途中なのです、などと言われると、
オジサンはころっとまいってしまう。
独りでは立てないからもう独りが支える、
だから「人」という字なんだ、
などと金八先生も言っていたのではなかったか。
もちろん、語源や成り立ちからすれば
全部でたらめである。
だのに、尤もらしく思えてしまうところが、漢字たるものだ。
すべて「意味」があるから、そうなるのである。
(続く)