長崎の原爆記念日は、
広島のそれの三日後である。
世界へ発信されるとしても、
広島が主であり、
長崎には言及されない場合が多い。
まるで、「後の祭り」である。
 
だが実質戦争終結は
長崎に被害が及んだことによるものだという。
アメリカ側は、集結に「役立った」と考え、
その言葉や態度に日本側は憤りを覚えるものだった。
 
原爆を使用するまでもなく、
もはや日本に戦闘能力はなかったのだから、
原爆使用は他の意図や目的があったとも見られることがある。
政治的な思惑については、
どこまで追及できるものか分からない。
 
もしも降伏がなかったら、
長崎の一週間あまり後には、
もしかすると京都に第三の原子爆弾投下があったかもしれない、
とする研究もあるらしい。
 
日本の中で教会が建ち並ぶ随一の街である長崎が
いけにえの小羊とされたことを
永井隆博士は信仰から口にしたが、
様々な論議を呼んだ。
 
惨さの中に
尊い命が消されたこと、
またその後の影響で苦しむ人がたくさんいること、
そういうことについて
軽々しく発言することは私にはできない。
 
ある側面から見ただけのことで
感情的に
全体を否定するようなこともできない。
 
大きなこのような戦争が、
私たちが日々起こしている小さな戦争の延長であることは
心しておくべきことだとは考えているが。
 
長崎が平和の発信をしていることは確かである。
平和をつくるものは神の子と呼ばれる。
長崎は平和を生み出す礎となりうるはずであり、
その平和の種に水を注ぐものは私たちである。