先週、関心深い報道があった。
朝日新聞の見出しが
「米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育」
というものだった。
これが大きく日本で取り上げられたとしたら、
それは原爆問題にも関連するし、
大きな意義をもつであろう。
だが日本ではあまり重視されないかもしれない。
そこにある「聖戦」という思想が
一般に理解されているとは思えないからだ。
あるいはまた、取り上げられることによって、
「聖戦」への極端な考え方が蔓延し、
再びあの「一神教は自分が正義で戦争を正当化し……」と言い
「東洋思想は平和で寛容だ」というふうに自分を満足させ、
さらに論理的にはおかしいこと限りないのだが、
「だから日本の天皇思想は平和そのものなのだ」というふうに
声高に言い始めるグループや新聞が喜ぶことになるかもしれない。
新聞にも、
聖書にある聖戦思想を解説するゆとりはない。
それはまた、神学的にも難しい問題であるのだ。
私たちの現代の思想と相容れない面をもっているからだ。
神学的に右派であれば、
現代の思想が最善であるという保証はないことを告げ、
聖書には今の私たちの気づかぬより重要な思想が隠れている、と言うだろう。
神学的な左派であれば、
聖書を否定することはしないにしても、
聖書の聖戦の意味を現代風に解釈していくことを欲するかもしれない。
米軍が宗教思想で軍事行動を正当化していた、という
この報道の指摘は、その本来の思想とはまた別の次元のことである。
しかしまた、
背景にあることについての理解がなければ、
報道を聞く側に適切な判断ができるとは思えない。
新改訳聖書はここを苦慮して、
日本語に本来存在しない「聖絶する」という言葉を考案した。
これも右派的ながら一案である。
それは何のことなのか。
すべては神が主体であることによってしか正当化されない、
そういう前提を守ることができるならば、
一つの思想として成立するであろう。
人間がすることをそれで正当化するようなことは許されない。
米軍のしていた問題は、そこにある。
聖書そのものの問題ではない。
これをもし、一神教が、とか、キリスト教が、とか
狂喜乱舞する者が現れたとしたら、それは、
原子力発電所の事故のゆえに、
すべての科学を否定するという暴走と、
似ているものと言わざるをえない。
しかしまた、キリスト者は
この問題を軽々しく受け流してはならない。
世界の運命を握るほどの支配力を
私たちは任されているのであるから。
朝日新聞の見出しが
「米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育」
というものだった。
これが大きく日本で取り上げられたとしたら、
それは原爆問題にも関連するし、
大きな意義をもつであろう。
だが日本ではあまり重視されないかもしれない。
そこにある「聖戦」という思想が
一般に理解されているとは思えないからだ。
あるいはまた、取り上げられることによって、
「聖戦」への極端な考え方が蔓延し、
再びあの「一神教は自分が正義で戦争を正当化し……」と言い
「東洋思想は平和で寛容だ」というふうに自分を満足させ、
さらに論理的にはおかしいこと限りないのだが、
「だから日本の天皇思想は平和そのものなのだ」というふうに
声高に言い始めるグループや新聞が喜ぶことになるかもしれない。
新聞にも、
聖書にある聖戦思想を解説するゆとりはない。
それはまた、神学的にも難しい問題であるのだ。
私たちの現代の思想と相容れない面をもっているからだ。
神学的に右派であれば、
現代の思想が最善であるという保証はないことを告げ、
聖書には今の私たちの気づかぬより重要な思想が隠れている、と言うだろう。
神学的な左派であれば、
聖書を否定することはしないにしても、
聖書の聖戦の意味を現代風に解釈していくことを欲するかもしれない。
米軍が宗教思想で軍事行動を正当化していた、という
この報道の指摘は、その本来の思想とはまた別の次元のことである。
しかしまた、
背景にあることについての理解がなければ、
報道を聞く側に適切な判断ができるとは思えない。
新改訳聖書はここを苦慮して、
日本語に本来存在しない「聖絶する」という言葉を考案した。
これも右派的ながら一案である。
それは何のことなのか。
すべては神が主体であることによってしか正当化されない、
そういう前提を守ることができるならば、
一つの思想として成立するであろう。
人間がすることをそれで正当化するようなことは許されない。
米軍のしていた問題は、そこにある。
聖書そのものの問題ではない。
これをもし、一神教が、とか、キリスト教が、とか
狂喜乱舞する者が現れたとしたら、それは、
原子力発電所の事故のゆえに、
すべての科学を否定するという暴走と、
似ているものと言わざるをえない。
しかしまた、キリスト者は
この問題を軽々しく受け流してはならない。
世界の運命を握るほどの支配力を
私たちは任されているのであるから。