言葉というのは恐いもので、
なんとなく移ってくる。
関西に暮らしていれば、
関西イントネーションにだんだんなってくる。
ネイティブからは不自然極まりないわけだが。
 
鼻につく言葉を耳にしても、
それが蔓延していく中で、
それを使う自分を発見して自己嫌悪に陥ることもある。
「マジ?」も使ってしまう。
 
今、拒否しつつも出てくることがあるフレーズが、これ。
「~じゃないですかぁ」
 
まことに鼻持ちならない。
聞くほうが嫌な感じをもつわけで、
自分の口からこれが出ると落ち込んでしまう。
 
「~じゃないですかぁ」は、相手に同意を強制する。
他人から言われた場合、天の邪鬼な私は、
「そうじゃないと思うよ」とか
「そうとは限らないねぇ」とか
ツッコミを入れたくなるのだが、
どうにもそれを許してくれない。
 
自分の言ったことを相手に肯定させる。
従来、それは単に「相づち」でよかった。
相づちには、強い肯定の意味はない。
「まずは君の言うことをちゃんと聞いたよ」という意味も
相づちには含まれる。
だから、相づちを打った後で
反対意見を言うことも大いにありうるわけだ。
 
ところが、「~じゃないですかぁ」には、
もはや相づちさえ打たせない。
話すほうが勝手に相づちを入れるような形になるのが普通で、
さらにそれはもはや「聞いたよ」の相づちではなくて、
「たしかにその通りだ」の強い肯定を前提としている。
つまり、聞く相手の意志や思想に関係なく、
自分の言明を相手に肯定させる勢いがそこにある。
結局のところ、相手に全く反論をさせない言い方ともなり、
それは殆ど独り言に等しく、
聞く者の存在を無視している言い方だとも考えられるのだ。
 
「対話」を作らない。
「対話」を作らせない。
自分の考えを土台として
相手とともにさらによいアイディアを築こうという方向性はない。
ただ自分はこう考えた。
とにかくこれを認めろ。
私はそれさえ言えばよい。
 
私の考えに問題がある? いいじゃない。
私は私なんだから。
これが私らしくあることだ。
あなたはあなたで勝手にやればよい。
私は変わらないよ。
私は私を信じるだけだ。
干渉し合うのなんて、うざいからやめよう。
傷つけ合うのはあんたも嫌だろう?
私は私のやり方でやる。
私の生き方なんだから、邪魔しないでほしい。
 
背景にある心理を想像してみると、
たくさんの世情が見えてくるような気がしてくる。